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ゲロ吐きそうなほどうざくて面白かった『Re:ゼロから始める異世界生活』

実は、インフルエンザにかかっていました。高熱が引いた後は案の定暇になるので、なんとなしにAmazon プライム・ビデオで見れたアニメ『Re:ゼロから始める異世界生活』を一気見しました。
なおアニメのネタバレを含みますので、まだ見ていない方は本記事を読まないことをおすすめいたします。


面白かったのだけど

どのくらい面白かったのかというと、2クールアニメを2日間で見終わってしまうくらい。スピードもそうなのだけれども、インフルエンザという突如できた休み時間という意味合いを置いておいたとしても、集中して最後まで見終わった、いや先が気になりすぎて見ざるを得なかったということ、それほど先が気になったアニメでした。

本作は言うまでもなく死に戻り、すなわち主人公が死ぬとゲームオーバーとなり特定地点まで巻き戻され、記憶はそのままにやり直すことがポイントとなっているけれども、この死に戻り系と切っても切れないのが無力さだと思います。無力さがポイントとなるポイントは、主人公が死に抗おうとすること。すなわち、頑張ろうとしたけれどうまく行かず失敗するので無力さが際立つということ。

本作の主人公ナツキ・スバルはマジでうざいやつである。年齢は17才。ずっと引きこもりだったという設定で、自分勝手である、身勝手である。うまく行っているときは機嫌がよくて、全能感丸出しなのだけど、自分の思い通りにいかないとイライラし周りに当たり散らす。
しかしムカつくのは、そんな彼でさえ成長していくということである。死に戻りという装置はスバルの悪いところを全面に出させるだけのものではなく、スバルの成長を描く装置にもなっている。見ているものにヘイトを溜めさせて溜めさせて、最後にはきっちりかっこいいところ見せるところで溜飲を下げさせるというものである。

ある意味様式美なのだが、これが本当にムカつく。ナツキ・スバルは本当にひどいやつである。死に戻りをしている俺のおかげでお前たちは正しい方向に向かえているんだと平気で1週目の人間たちに言い放つ。自分のことをどうして誰も分かってくれないのだと子供のように駄々をこねる、しかし正論を突きつけられるとそれを無視し顧みずまた自分勝手に動き出す、そして死ぬ。

死に戻りクリアの難易度が低いうちは、まだ良かった。フラグが立つ要件を満たすために、適当に動くだけでいいのだ。しかし徐々に難易度は上がる。難易度が上がると、より自分自身が何かを考えて決断し前に進まざるを得なくなる。だからこそ、失敗したときのショックが大きい。「ここまでやったのにだめだったのか」となる。
しかし実際のところ、殆どの場合スバルがやっていることはそんなにすごいことではない。なんとなしに周りにいるやつに助けを求める。Aという障害をクリアするためにはAよりも力を持ち圧倒的に潰すことが可能なBを探す、という単純な原理に従っているだけである。

しかし、そんなスバルもいよいよ行き詰まる。王選編における死に戻りループである。この死に戻りを通じて、スバルは自分自身と向き合うことになる。「ここまでやったのにだめだったのか」という感情は更にヘイトを増し「俺がここまでやっているのに誰も分かってくれない」というループものでは言ってはいけない主人公のタブーにも手を出す。なぜタブーなのかといえばもちろん、1週目の人物たちはそんな事情は知らないからである。
そういった一連のタブー的行為は、私達視聴者のヘイトも一挙に引き受ける。「お前はなんて身勝手なんだ」「おいおい、それを言っちゃおしまいだろうが」となる。視聴者は当然死に戻りをしたことがない(と思う)ので、スバルが死に戻りのたびにどんなどれくらいのダメージを追っているのか理解することは難しい。

もしかしたら実際に死に戻りをしたら、もっと早い段階で精神を病んでしまうのかもしれない。だけどそれがわからないのでヘイトが溜まる。それを解消してくれるのが死に戻りのたびに突きつけられる正論である。
特にペテルギウスの一連の言葉は非常に痛快で「あなた、なぜ壊れたふりなどしているのですか」「狂気に染まったような演技をしているのですか」「あなたの狂気は正気にすぎる。そんな賢しげに同情を買うように振る舞うなど狂気に対して失礼というものです」「本気で振る舞うのであれば、他者の目など意識してはいけない」などが飛び出す15話「狂気の外側」はたまらなく好き。タイトルの狂気の外側という言葉もとてもいい。

これはそのままの通り、スバルは狂ってなどおらず、壊れそうになっている自分を守るために作っている狂気という薄皮という意味だと思うが、それが見事に正論で剥がされていき、そして剥がされた後にきちんと絶望エンドが待っているというのが本当にたまらないのである。
15話に続けて16話でも、ナツキ・スバルへの正論叩きつけの仕打ちは続く。「卿は一度も、エミリアを助けたいと口にしていない」「貴様のそれは、忠義でも忠誠心でもない。もっと薄汚い犬のような依存と豚のような欲望じゃ。欲しがるだけの怠惰な豚め。豚の欲望が最も醜い」「自分の正しさを信じてもらいたいなら、相応のものを見せなあかんよ」「自分が知ってて相手が欲しがるものをぶら下げる。欲しい欲しいばっかりのナツキくんに足らんのはそこやね」。

そして最後は、エミリア本人からの通告である。エミリアとの会話の中の「ここに居たらだめなんだ、お前は後悔する、絶対にする。誰も救われない。俺はもう苦しみたくないし、泣きたくなんか無いんだよ。俺の言うとおりにしていれば良いんだよ、そうすればうまくいくんだそうなんだ」の部分はたまらない。やはりスバルは怠惰だということがとても良く分かるシーン、ついつい漏れ出てしまう本心が辛い。俺「が」苦しみたくないし泣きたくはないのである。
まぁでも、そういうふうにしか考えられないっていうところもスバルらしいといえばスバルらしい気はする。でもそんな考えじゃあとてもじゃないけどこの死に戻りループは抜けられないわけである。現状のナツキ・スバルだからこそ抜けられないこのループ、最後にはパックにさえも怠惰と言われてしまう。

長々と書いたけれども、このナツキ・スバルのやるせなさ、弱さにとてもイライラする。そしてもっとイライラするのは、最後に主人公を救うのは、主人公のことをとても好きな女の子であるということである。
レムという女の子が居なければスバルは救われない。そんなレムがレムたる所以は、スバルのおかげだということは分かっている。そう、ナツキ・スバルは何もしていなかったなんてことはないのだ、という筋書きである。

でも、でもムカつくのはやっぱりナツキ・スバルなのではなくて、ナツキ・スバルから発せられる言葉1つ1つが自分に返ってきているからだと思う。そして同時に、ナツキ・スバルのように思いの丈をそのまま口に出して発散することが現実ではできていないからだと思う。18話とか、なんでアニメ見ながらこんなに辛くならないといけないのって思いながら停止ボタンは押せずずっと見入ってしまう。ナツキ・スバルの独白に対して返されるレムの言葉を遮れない、ずっと聞いてしまう。辛くて辛くて本当に辛くて、なんでアニメ見て楽しもうと思ってるのに現実のいろんなことを思い出さなければらないんだろうって泣きたくなりながら、でも見てしまう、本当に辛い。

終わりに

久々にアニメを見てお腹の少し上、胃のあたりがキューッとなりました。やはりアニメを見るのは体力がいるし、現実の体調にも影響を与えてしまうなと。だからこそ面白いとも言えるのですが。
Re:ゼロから始める異世界生活』は本当に面白くてですね、原作は読もうと思ってます(多分文庫の方ですが)。
Amazon プライム・ビデオでまだしばらくは無料公開されると思いますので、もしなにか見ようと思っている方にはおすすめします。2クールアニメなので少しだけ体力がいりますが。