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アニメ『神達に拾われた男』 リョウマのエリアリアに対する恋愛感情はガチなのか

最終12話「スライムたちと新たなる日々」を見終わりました。いい最終回でした。

それと同時に、これまでずっと言い続けてきましたが、シリーズ通して起伏がない形で落ち着きました。
12話を見終わったタイミングで「これからもこの作品はゆったり進んでいくんだろうな」という気持ちになったのですが、この気持ちこそがこの作品の本質というか、良いところでもありまた同時に起伏がないと感じるところなのだと思いました。

さて一通り見終わったので改めて本作品について振り返ってみたいと思いますが、特に一番気になっていたリョウマの幼児退行の話について主に書いてみたいと思います。

リョウマの心は結局どうなったのか

リョウマの幼児退行の話には結局8話くらいでしたか、一度触れられただけでその後進展はありませんでした。ここは少し残念なところではありました。
最終話ではリョウマがエリアリアに対してめっちゃドキドキするシーンが描かれたわけなんですが、忘れてはならないのはこの男、元々はサラリーマンで成人済みのおっさんなわけです。

以前の感想でも書いたように、見た目が可愛いものの中身はおっさんという設定に対して、見ているものをどう説得するのかを興味深く見ていました。
一旦の結論として語られたのは、リョウマの幼児退行の話、すなわち「若返った肉体に精神が影響を受けて幼児退行」しているという設定です。

個人的にはかなり重要な設定だと思っていて、なぜならリョウマがエリアリアに対して恋愛感情のようなものを抱くことに対しての描写がいろんな意味合いを持つからです。
幼児退行が進んでいるのであれば、リョウマはただの少年としてエリアリアに恋をしていると読み取れますし、そこまで進んでいないならば、良くしてくれた子供に対して素直に感謝しているだけかもしれないし、もしかしたら一人の女の子として見ているのかもしれない、と。

作品を見ている限りは、リョウマはエリアリアを「女の子」としてみているように感じました。いやいいじゃんそれは、って思うかもしれないのですが、基本は中身は普通のサラリーマンのおっさんなわけです。
どう考えても問題なわけですよ普通は。それを逆手に取って「いや、だめだ落ち着け俺」みたいな描写がある作品ももちろん多いわけなんですが、本作品ではそういった描写がありません。
あるのは前述した幼児退行の設定のみ。

やはり12話を終えて私は、リョウマは素でエリアリアのことを好きになってしまったのではと思うのです、幼児退行とかじゃなくて、元のサラリーマンの人間として。ところどころ元の自分の感性が言葉に現れてしまっているところが、説得力があったと思うのです。「こんなときにどんな言葉をかけてあげれば良いんだろう」とか「こういうのに慣れてなくて」とかの内面描写は、本当に幼児退行していたのならばむしろ描く必要もないはずなので。

20を超えたサラリーマンが11歳に恋をするという危ない構図は、リョウマの可愛らしい見た目によってなんとか表に出ないようになっているのですが、冷静に考えると結構やばいわけです。
で、このヤバさをほとんど描いていない状態は、果たして作者の意図したところなのかというところがすごく気になるわけです。
そういう意味で、幼児退行の設定についてもう少し掘り下げてほしかったというのが本音ではありましたが、残念ながら1クールでは描かれませんでした。

終わりに

本作品は貴重な、何も考えずに見れるアニメでした。しんどくてもとりあえず再生して、さすがリョウマ様な描写と可愛いエリアリアを見ておけば問題ない作品でした。
少し前からですが、ガッツリとしたアニメを見るのがしんどくなってきたのもあって、この手の作品が1クールに1本あると本当に嬉しく思います。

やっぱりアニメは楽しんだものがちだなと、改めて本作品を見て感じたのでした。