PVを見ただけで、原作ファンは涙なくしては語れない仕上がりだと感じたらしい、そんな放浪息子。放送時期のずれの関係で、twitterのタイムライン上では、「放浪息子…圧倒的すぎる」「フラクタルの内容も吹っ飛んだわ」「面白すぎて逆に笑えてきた」とか、事前に目にすることになりました。さらには東浩紀さんが「放浪息子良すぎるんだよ。フラクタルは当て馬か」などとツイートするなど、もうエラいことに。前評判が良すぎるアニメって言うのは見るのが怖いので、一歩引いての視聴となりました。
前半は理解が追いつかなかった
噂には聞いていましたが、どうやら小学生編っていうのがすっ飛ばされているそうです。なので、初見の人は戸惑うかもという指摘は正しかったわけです。登場人物が次々と現れるので、関係性が殆ど分からず、始まって5分くらいはちんぷんかんぷん。ですが、徐々に理解はできるようになっています。
Wikipedia先生によると、原作は2人が自分の性別のことや友人関係に悩み葛藤する姿が、重々しいトーンを伴わず淡々と描かれてゆく
、とあるのですが、アニメを見る限り淡々と描かれているようには感じませんでした。いや、確かに「淡々と」、という形容詞が似合うという意味では正しいのかもしれません。というよりも、これはあくまで原作について書かれているWikipediaの表記なので、どこまで信頼してもいいのか分かりませんが…。
つまり、私は放浪息子はものすごーく重たいテーマを扱った、重たいお話だなぁと感じました。絵が綺麗だとか、BGMが良いとかそういうのを全て吹っ飛ばすくらいの重いストーリー。
何となくつぶやく
ふと、まほらばという作品を思い出しまして。ここからは、まほらばという作品を読んだ方向けになります。ネタばれを含みますので、ご注意下さい。
まほらばでは、アニメ化に際して設定が変更されたことはご存知かと思います。ヒロインの蒼葉梢は原作では多重人格の設定ですが、アニメでは「変身」という言葉に置き換えられました。制作・放送の都合上だということです。
果たして、原作の設定を曲げてまでアニメ化をする必要性があるのかどうか。まほらばのアニメ化に関しては、原作の良い部分を抽出していたな、という印象があります。つまり、和気藹々、ほんわか、という部分を強力に描くことにより、良い話だなぁ、良い作品だなぁ、と思われる作品にしたということです。
実際、原作においても、ほんわか話であることは間違いありませんが、ストーリーの根底部分の設定を変えてしまうというのは、非常に危なっかしいことであると思います。原作がまだ終っていないのに、アニメの方で決着をつけてしまう(作品を終わらせてしまう)というのは、非常に危ないことだと思うのです…。
と、書きだすと長くなるので機会があれば書こうと思います。まほらばについて調べていると、YAHOO知恵袋に「アニメ版の『まほらば』について 最近ながら自分は、小島あきらさんの『まほらば...」というものがあったのでご紹介しておきます。
あたりまえだと思っていることを、ふと原点に立ち戻り考えると、やっぱりちょっとおかしい、と思ってしまう、そんな内容です。