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漫画『宝石の国』 彼女たちが何者なのかを考えてみる

相変わらず宝石の国に傾倒しています。
現在2巻まで読み終わりましたが、現時点での、彼女たちについてを考えてみました。
当然ながらネタバレを含みますので、未読の方はお気をつけてください。


何も語られていない

2巻を読んで一番考えさせられたのはウェントリコススによって語られた「魂と肉と骨」のことでした。
まず前提として、ウェントリコススのこの言葉を素直に受け取って良いのかどうかという問題があります。

ウェントリコススは、フォスを仲間のために売ったように信用ならない側面が描かれています。
よって、都合よくフォスに対して情報を吹き込んでいる可能性が否定できません。

海の底に連れてくるところが目的だったのでそれ以外のところでは嘘をつかない、というパターンの可能性もあるので、
ここでは一旦、語られたことがそれなりに真実性が高いとして考えてみたいと思います。

「魂と肉と骨」は、ウェントリコススが語った通り、月人・アドミラビリス(族)・彼女たちを指している。
「生殖と死を細やかに繰り返しながら知を重ね紡ぐ特性」を受け継いだのがアドミラビリス、「他の生物と契約し長い時を渡る術を身につけ陸に戻った」骨、そして「ついに清らかな新天地を得 再興のため肉と骨を取り戻すべくさまよっていると言われている」月人。

これら表現は示唆的で、直接受け取って良いものか迷うほどです。すべてを納得できるかどうかは置いておいて、半分を超える部分は事実なのではと直感的に思います。
2巻で重要なワードは「にんげん」で、「にんげん」が魂・肉・骨に分かれたという記述。
分かれるという言葉が本当に曖昧で、綺麗に分かれたのかどうかは正直わかりません。

ここからは個人的な考察となりますが、まず「特性を受け継いだ」というのはそれなりに嘘が含まれていると思っています。
月人・アドミラビリス(族)・彼女たちは特徴も特性も持っていますが、もしきれいに分けられているのであれば、もっと苛烈に露骨に表現される気がするのです。

人間的ないやらしさを魂すなわち月人が受け継いだとしたのならば、アドミラビリス(族)・彼女たちにはその特性が存在しないと考えられるのが普通ですが、
アドミラビリスはフォスを早速売りますし、彼女たち宝石が果たして純粋無垢かというと、複雑な関係性となっている状態から見ても単純ではないことが分かります。

つまり、とても「にんげんらしい」側面を月人以外も持っていると思うのです。もっと言えば、月人がにんげんらしいかどうかも分かりません。
自分たちの欲しい物を手に入れるために手段を選んでいないということは伝わってくるのですが、それだけじゃないような気もします。

少し矛盾しているのですが「魂と肉と骨」は魂も分け合ったのではと思うのです。だからこそ、それぞれにおいて「にんげんらしさ」のようなものが内包されているのではと。

魂は器に注がれている

月人は、切られると霧散する描写があります。これは、月人は自らの魂を天女のような入れ物に注いでいるからなのではと考えています。
器を破壊すれば魂は霧散し月に戻る、というような事が起きているという考え方です。
一つの根拠としては、初めての月人の描写時に、さらわれたヘリオドールが入れ物の中にあったことで霧散しなかったことが挙げられます。

そういう意味で、月人が骨を手に入れたいのは、霧散せず留まりたいという思いが現れているのではとも思います。
本能として生きようとしていて、最後にアドミラビリスを手に入れることで知性を手に入れる、そういう流れなのではないかと。

骨の目的は

骨つまり彼女たちは、一体なんのために生きているのか。「長い時を渡る術を身につけ」たとのことですが、「生殖と死を細やかに繰り返」すことでも長いときは生きることはできます。
宝石には一人ひとり特徴があるように陸にて生きる術を身につけたと捉えるのが自然ですが、それならば彼女たちは目的もなく、ただやってくる月人に対処するためだけに生きているのだろうか。

陸に戻るのは「にんげん」らしさを取り戻すことと考えるなら、一番「にんげん」に戻りたいのは実は骨なんじゃないのかという考え方もできます。
「にんげん」らしさを奪おうとする月人に対して敵対している、という目的はあるのかもしれません。

2巻では彼女たちの年齢が明かされますが、思っていたよりずっと長寿で驚きました。
数百年から数千年単位で生きているのに、その間ずっと戦っているのは果たして、というところです。


目的といえばそれは「先生のため」と言われたらそうなのかもしれません。でもそれは戦う理由であって生きる理由とは少し違うような気もします。
先生という存在がどういうものなのかがまだ明言されていないので推察以上のことはできませんが、「にんげん」という言葉を先生がおそらく知っていて、
彼女たちが全く知らないというのも不思議なんです。

報告したフォスに対して、驚きはするものの隠すことはしていなかったので、これまでも意図的に隠しているというわけでもなさそうなんです。
あえて語らなかった、ぐらいが正しいのかもしれない。語ったところで理解ができないのでは、という。
でも、フォスはアドミラビリスの話を理解していましたからこれは矛盾します。フォスだけが特別共感性が高いという可能性はもちろんありますが。

先生についての考察はまた別途行いたいところではありますが、とにかく分からないことが多いので、考察しがいがあるもののキャパが超えそうです。

終わりに

特に結論はなく、色々と考えていたことを言葉にしてみました。
もしかしたら3巻以降で色々と語られていくのでしょうが、まだ知らないタイミングで考えるのは今しかできないので、どんどん文章に残しておこうと思います。


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