隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

小説『キドナプキディング 青色サヴァンと戯言遣いの娘』 己で修理できないものを手放せ。それが己の心でも。

戯言シリーズ最新作、読み終わりました。
最後に戯言シリーズを読んだのがいつか思い出せなくて、戯言遣いの戯言を少ししか覚えてないぐらいには昔です。

結論めっちゃ面白かったのですが、作品そのものの面白さに加えて20周年記念作品的な部分、復刻的な部分の昔懐かしさが面白く感じさせた部分は正直あると思います。
とは言え、自分的には久々の西尾維新さん作品だったので、あぁいいなぁと素直に西尾維新さんの良さに気づいた大満足の一冊でした。

以下にて発売当時に「おめでとう」記事を書きました。
thun2.hatenablog.jp

この記事内で紹介していたロングインタビュー記事の続編が出ているので、紹介しておきます。
伝説シリーズについて突っ込んだ話が聞きたいと思っていたので、その点については多少不満な内容ではありましたが各作品への西尾維新さんの考えや思いが伺えるので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
ddnavi.com


さて旧作を殆ど覚えていないのでネタバレはできないし、しないつもりではありますが気になる方は以降お気をつけてください。また当然ながら最新作のネタバレは含みます。
これ、マジで言ってんだけど。

出だし

冒頭5ページは誇らしき盾こと玖渚盾(くなぎさじゅん)の自己紹介とも取れるものから始まりますが、これは物語シリーズの「100パーセント趣味で書かれた小説です。」というキャッチコピーを彷彿とさせるような内容になっていると感じました。すなわち、普遍的に読まれることを放棄したような固有名詞を使ったり、作品メタ的な裏事情ネタを入れたりするという意味です。

この出だしを読んだ瞬間、もうこの本を買った意味があったなと思ったぐらいには面白かったというのが事実です。
でもこれは、初めてこの作品を読んだ人には理解されない感情な気もしていて、本作品は20周年記念作品という位置づけなんだと改めて感じたところでもあります。

何かって言うと、よくもまぁこんな趣味的な文章を冒頭の5ページに持ってくれるんだっていうその胆力ですよ。面白いから困ります。

請負人

哀川潤というキャラクターが、どのくらいぶっ飛んだキャラ設定だったかなと思い出す必要がないくらいには良い登場をしてくれて安心しました。
戯言シリーズって、1巻がいかにもミステリーって感じの導入かと思っていたら巻を進むに連れて能力系になっている感覚あるじゃないですか。
哀川潤というキャラクターは、一瞬にしてその感覚を思い出させてくれました。いいですね、この人外の感じ。

20年前との比較

ママの絶対法則「機械に触るな。」という言葉があるぐらいなので本作品ではAIとかシステムとかに対する言及が多いのですが、当時読んでいた学生時代と比較すると「自分ならこう考えるな」とか考え始めがちです。

20年も経過すると多かれ少なかれ成長して知識も増えたり経験も増えたりするので本に対する感じ方が変わってくるのは当然なのですが、20周年記念作品として過去の作品観を大事にするような形で書いてくださっている本作品だからこそ自分の過去ともなおさら比較してしまいがちで、その点を強く感じたところではありました。良い意味で成長できているとよいのですが。20年て。

ミステリー

ホワイダニットが軽視されがち、的な考え方が好きな自分にとって衛星による物理攻撃で自白させるという流れが最高すぎてその結末だけでもハッピーでした。読んでよかった。
「教えてくれたら、私があなたを、秒で理解しますから!」というセリフは流石に笑った。こういうストーリー展開とこのセリフを持ってくるセンスが本当素晴らしいなと。

盾がこのセリフを言っているシーンがめっちゃ頭のなかに思い浮かんで、迫真でシリアスな笑いで、面白いシーンなんだなって一瞬で理解できるというか。

この直前の以下のやり取りも本当好きで。

「雪洞さん! 動機を教えてください! 近ちゃんを殺した動機を!」
「え……?」

pp243より引用

「え……?」っていうのがマジで面白すぎて、引用するために読み返してまた笑ってました。
とにかく盾ちゃんが必死に真面目に言っているのに、展開が読み込めなくてきょとんとする雪洞さんの図。

動機を自白させるシチュエーションなら間違いなく5本指に入りそう。知らんけど。

気に入ったシーン

本作品を総括する感じの感想の書き方が自分には難しいと感じたので、気になったシーンを引用しつつ感想を述べる形を最後に持ってきて終わりにしたいと思います。
なお引用元は全て、 西尾維新(2023),キドナプキディング 青色サヴァン戯言遣いの娘,株式会社講談社 からとなります。

信号機論

青信号だったことなど救いにはならない。裁判や量刑的にはともかく、青信号で轢かれた場合は命の危険はありませんなんて条項は、道路交通法には記載されていない。

pp20より引用

信号に対するいろんな考え方が自分は好きなんですが、赤信号に対してじゃなくて青信号に対しての逆説的な論調も良きです。結局信号もどこまで自分の生死にベットするかみたいなところがあるので、そういうことを小説の中とは言え派手にやってもらえるのは笑ってはいけないけれども興味深くはある。フィクションだからこそだよね、と。

そんな人生あってたまるか

初めて会った人をクルマで轢くような人によもや礼儀を説かれようとは……、なるほど、これが人生か。

pp25より引用

いや、そんな人生もあって良いのかもしれない。盾の、達観しているようでしていない感じの言葉使いが好きです。「なるほど」という言葉が特に良いですね。
礼儀を知らない人に礼儀を説かれるシチュエーションでは、間違いなく3本指に入りそうな感じ。

面の皮が厚過ぎる

皮肉が通じないな。
面の皮が厚過ぎる。

pp32より引用

哀川潤に皮肉など通じないことを端的に表現するシーンなのですが、テンポ感が好きすぎて紹介したいです。
通じないな、から改行しての厚過ぎる、なのでどちらも同じテンポで言ってる印象を受けます。

死にかけふらふらな頭で思考しているので、前後の文がそれぞれどういう意図で発せられているかは推察するのが難しいのですが、皮肉が通じなかったことに対して頭がよりくらくらすると言っているので、嫌味というよりは達観の気持ちが強いと想定されます。
ただ「面の皮が厚過ぎる」には若干嫌味が入っている気がするのが、笑いどころかなと思います。これ、マジで言ってんだけど。

でしょうね

「だ……、誰かに、私の誘拐を依頼されたということですか? 警備の厳しい学園の寮を出て、帰省中の私を、クルマで轢けと?」
「クルマで轢くところはわたしの発案だ」
でしょうね。

pp34より引用

さっきからこの二人のやり取りばかり引用していますが、常識が通じない相手に真面目に挑む感じがツボに入って面白いのです。
哀川潤の端的な回答と、即座の「でしょうね」という掛け合いが最高です。
半ば演技なのかも知れませんが、盾ちゃんの芝居がかった感じのセリフがめっちゃいい。それをバッサリと切り捨てるのも。

職業を全うする

「他人を自覚的に意識的に踏み台にできる人間ってのは、なかなかどうして怖いものがあるよな」

pp54より引用

千賀雪洞というメイドさんが、メイドさん力を発揮するシーン……といえば聞こえが良いですが縫合手術をするために安定した場所が必要で、すぐさま四つん這いになってお座りくださいと盾に言う雪洞さん。

西尾維新さんって戯言シリーズに関わらず、職業とか使命を全うするキャラクターを描くのが本当に上手いと思います。千賀雪洞さんのこのシーンを見て、めだかボックスを思い出しました。

事情をすべて分かった上でこの言葉を投げる哀川潤さん素敵。

心外

「どうでしょう。わたくしが母達から聞いているお父様の口ぶりと、そっくりですが」
心外だ。

pp69より引用

玖渚機関の内情を聞き出せないかと、好奇心旺盛な感じでキャピってみたら、冷静に返答された図。面白すぎる。
盾ちゃんは基本的に空回りする子なのですが、全方位に対して空回りするのが可哀想可愛い。ツッコミがシンプルなのもマジで効いてる感じがして良い。

バリアだ

「当然ながらエレベーターもエスカレーターもあるはずがないので(どころか、階段はほぼ梯子みたいな角度だった。バリアフリーという概念もない。バリアだ)

pp92より引用

まさに障害だという感じで、こういう言葉遊びって西尾維新さん的には初歩の初歩というか呼吸をするかのように書かれるわけですが、なぜか西尾維新さんの言葉遊びが一番好きなんですよね。
文体とか勢いなんですかね、キャラクターを作るのが上手くて、そのキャラクターが喋っているからこそみたいなところもあると思っていて。

それが己の心でも

パパの戯言シリーズその93。
己で修理できないものを手放せ。
それが己の心でも。

pp107より引用(太字は原文ママ)

これほんと良い戯言ですよね。今の自分に刻み込みきりたい戯言です。
いや、手放したくはないんですけど手放したくなるくらいにもうどうにもならないんじゃね? 生き方下手すぎじゃね? って思うことがよくあってですね。

己の心を手放すって物理的にじゃなくて精神的に手放すという意味が多分に含まれていると思うんですが、切り離すではなくて手放すというところが上手い言葉だなと思っていて。
切り離すであれば、自分を守るために一時的に俯瞰的な視点になるというか自分を客観視する感じで切り離すとも考えられるのですが、手放せというのがとても強い言葉だと思います。

手放せる人が強くなれるのか、手放すことは逃げなのか。最近良くわからない精神状況が続いているのですが、そういう中でこの戯言を読んでめっちゃ効いてしまいました。

悲しみの表現の仕方なんて人それぞれ

白々しく聞こえてしまうのはなぜだ。白々しいからだろうか。むろん、悲しみの表現の仕方なんて人それぞれだし、もっと言えば、悲しみを表現しなければならない義務もない。

pp148より引用

白々しく聞こえるのは、本心で言っているからなんだろうなと。
それは置いておいて、悲しみの表現は同意しか無い。悲しみを表現しなければならない義務もない、といってもらえるのは心が助かる。

人の死に対して昔から上手く涙を流せないことが多いのですが、それに対して悩んでいた時期もあって、もちろん今も悩むことがあるのですが必ずしも悲しまなければ「ならない」と思わなくてもいいと最近は思っています。
現実では、そういうことをあまり表立って言われることもなければ言うこともないので、なかなか上手く消化できないことも多かったのですがフィクションの世界では「悲しみに対するスタンス」が語られることが多く、その度に救われています。

死んでいるのと同じ

パパの戯言シリーズその61。
黙っているのは、賛成しているのと同じ。
あるいは、死んでいるのと同じ

pp151より引用(太字は原文ママ)

好きの反対は無関心ではないですが、賛成の反対は死っていうのは好きな思考です。
死人に口なし、いや生きていて口なし、そりゃたしかに死んでいるのと同じかも。

逃げ得を許すな

パパの戯言シリーズその53。
許せないと感じる人間を、許せ。
許せないと思っている人間を、許すな。

pp164より引用(太字は原文ママ)

自分の怒りをベースに行動するとしんどい、なのでそうではない理由をつけろという解釈もできる。
結局許せないところに落ち着かせることもできるのが肝な気がする。逃げ得を許すな。

学校は行って

「金輪際推理なんてしないので勘弁してください。学校もやめます」
「自らに課す罰が重過ぎるでしょ……、学校は行って。従姉妹に悪口を言ったくらいで、学校に迷惑もかからないでしょう」

pp58より引用

遠ちゃんにあらぬ疑いをかけてしまったことを謝罪する盾ちゃんの図なんですが、学校を辞めることを軸にした会話運びが好きすぎます。
遠ちゃんの言っていることは正論なんだけども、盾の真面目っぽさが面白さに拍車をかけているというか。
「学校は行って」と「学校に迷惑もかからないでしょう」の語感がめっちゃ好き。

終わりに

というところで、まとまりがない感想となりました。
誤解を恐れず言えば、西尾維新さんの作品はサクッと文字を追いながら感情を動かして読むクセがあるので、まとまった感想を書くのが苦手なのかも知れません。言い訳ですね、きっと。
ただ、これだけは言えます。西尾維新さんの作品は西尾維新さんの作品なんだなぁと。

自分の好きな作家さんって、その作品を読むと一発で分かるっていうか、理解するっていうか、生きていてよかったって思う何かがあるんですよね。
だからこそやっぱり、断筆されるまでは生きて作品を追い続けないといけないんだろうなと思うわけです。
勝手に業を背負うのはオタクゆえなのかも知れません。

しかし、創作物は本当に良いです。仕事の辛さを少し緩和してくれるくらいには。