海外小説を最近は好んで読んでいるのですが、先日ファンタジー小説『九年目の魔法』を読み終わってファンタジーの面白さに浸かりたくなったので、タイトルにもある通り小説『エラゴン 遺志を継ぐ者―ドラゴンライダー〈1〉』を読み始め、読了しました(『九年目の魔法』の感想については 小説『九年目の魔法』 不思議であり、現実的でもある素敵なファンタジー - 隠れてていいよ を参照)。
この表紙、ご存知でしょうか? 恥ずかしながら私は、今回手に取るまで表紙どころか作品の存在を知りませんでした。
本作品の一作目が翻訳されて日本で出版されたのが2004年4月で、同じくファンタジー作品として注目されていたハリー・ポッターの第5巻『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』の日本語訳が出版されたのが2004年の9月です。
私はその頃ハリー・ポッターにかなり熱を上げていまして、それ以外のファンタジー作品に手を出そうともしていなかったし知ろうともしていなかった気がします。
故に、気づくのが遅れました。約19年の時を経て辿り着きました。
あらためて説明するまでもないのかもしれませんが、本作品はファンタジー作品です。それもただのファンタジー作品ではありません。
剣や魔法・ドラゴン・エルフ・ドワーフといった王道的な世界観が重厚に描かれる、骨太なハイ・ファンタジー*1です。
主人公エラゴンが、ひょんなことからドラゴンの卵を見つけるところから物語は始まります。この出会いからエラゴンの数奇な運命が始まる超王道的なストーリーです。
今回私は単行本ではなく、ソニーマガジンズより最初に発売された分厚いハードカバーの方を手に取りました。意図して選択したわけではなかったのですが、結果的に良い判断でした。
本の背表紙裏についている世界地図を見ただけで、その選択をした価値がありました。
私は、本は装丁も含めて本の楽しさだと思っているので、このような装丁で楽しませてくれる作品に出会うと本当に感動します。
ファンタジーの場合は特に、世界観を理解するために地図というのはとても役に立つものなのですが、それ以上に「あぁ、この作品はこんな大きな世界観で進むものなんだ」と最初に思わせてくれるところが最高なんです。
地図があるために、答え合わせ感もあって好きになれない人もいると思うのですが、このレベルの重厚なファンタジーに出会うと地図の力強さというのは作品への理解度を飛躍的に高めてくれるので私は好きです。
そんなこんなで、645ページある本作品を一瞬で読み終わってしまいました。それほど先が気になり、次々とページをめくらせてくれたのです。
ファンタジー
ファンタジーの設定は、なぜこれほどワクワクさせてくれるのでしょうか。少なくとも私はいつ読んでもワクワクします。
ありえないことが起こるから・起こりそうだと予感させてくれるから、そして想像させてくれるからという理由はとても大きいです。
現実の世界観であっても、知らない世界がもちろんあります。
行ったことがない国・都道府県・駅・山・海、乗ったことがないクルマ・電車、飲んだことがないお酒、聞いたことがない音楽、弾いたことがない楽器、無数にあります。
ただ、それらはどこか現実の地続きになっていて、例え将来到底お目にかかることもなく関わることもなく、現実離れしているものだと分かっていてもどこか常識の中で考えてしまうのです。
しかし、異世界のファンタジーであれば魔法やドラゴンといった絶対に有り得ないものが登場しますし、日常と地続きになっている作品であっても現実ではまずあり得ないものが作品の中では常識のように扱われていたり、もしくはあり得ない状況に主人公が取り込まれていったり……日常と非日常の境目のようなものがふわふわと感じられる状態と言いますか、そういうものが存在します。
故に、想像力が無限に働き始めるんです。なぜそうなっているのか、なぜそういう状況なのか、なぜ主人公はそう感じるのか……そういったワクワク度合いが高くなる傾向にあるんです。
本作品は、いわゆるハイ・ファンタジー作品でしたが相当久しぶりにハイ・ファンタジーを読んだことも合って、想像力がとにかく刺激されました。異世界設定がなんだかんだ好きなんだなとも、あらためて思いました。
エラゴンの性格と、作品のスピード感
エラゴンという主人公は、結構イライラさせてくる系の主人公だと思います。
まだまだ世界を知らないただの少年なので、分からないことが多く、すぐに質問しようとするし癇癪を起こします。
しかし、そこまで不快感がありません。
特に、質問をめっちゃするのが面白い。これはどうなの、あれはどうなの、と。
ブロムからずっと窘められるわけですが、単に主人公の特徴を表現しているのか、物語を説明するためにセリフでごまかしているのか気になるレベルで質問します。
でもエラゴンは、最終的には自分で判断するところが好きです。
分からないところはめっちゃ聞くし、相談もする。でも重大なところでは、正しいかどうかは置いておいて判断をする。
間違っていることもあるし、勇み足な場面もたくさんあるのだけれども、そこに迷いのようなものがそれほどないので、読んでいてそこまでは不快感がないのです。
ストーリー展開が早いのも、それを助けている気がします。
目的地が次々と変わり困難な旅を続ける中で、新しい街や場所にて新しい人に出会い、トラブルに遭い逃げ出すように別の場所へ移動し、戦う。
エラゴンは様々の判断に迫られるわけですが、その判断を引きずる暇がなく物語が絶え間なく動いていくのです。
このスピード感と、大事なもののために突き進んでいくエラゴンの性格が上手くマッチしていると思います。
印象に残ったシーン
ここからは、読んでいて心に残ったセリフ回しやト書きについて引用しつつ、感想を述べていきたいと思います。
なお引用元は全て、 クリストファー・パオリーニ(2004),エラゴン 遺志を継ぐ者,株式会社ソニー・マガジンズ からとなります。
引用時は「ppXXXより引用」というような記載をします。
思考の束縛
「自分の体と心は、ほかの何者にも支配されるな。いつどんなときも思考を束縛されてはならん。自由だと思っていても、奴隷より重いかせでしばられていることもあるからな。耳を貸しても、心まで貸すな。力ある者には敬意をしめせ。しかし、むやみに追従するな。自分の頭で論理的に理性的に判断しろ。が、それをいちいち口にする必要はないぞ。
pp09より引用
どんなに身分や地位の高い者を前にしても、けっしてひるむな。だれに対しても公平に接しろ。さもないと、きっと恨みを買うことになる。金をもったら、じゅうぶん用心しろ。どんなときも信念をつらぬけ。そうすればまわりは聞く耳をもってくれる」
エラゴンの叔父であるギャロウが、息子のローランが家を出ていくことになった時に残した父親としての言葉です。
よくある言葉かもしれないし綺麗事かもしれないのですが、とても心にしみました。作品の中ではローランに対して語りかけられていますが、主人公のエラゴンに対しても意味のある言葉だと読み進めていくとわかりますし、何より読んでいる読者、というか私が感動しました。
なんというか、生きていく上で心掛けたい内容だと思いました。
本の素晴らしいところは、読んでいる時の自分のいろんな心情や状況対してアドバイスをくれるような偶然があるということなのです。
物語でも重要なシーンが自分ごとのように感じられることが多々あり、そういった瞬間は本を読んでいて良かったと感じるときでもあります。
特に冒頭の「自分の体と心は、ほかの何者にも支配されるな。いつどんなときも思考を束縛されてはならん。自由だと思っていても、奴隷より重いかせでしばられていることもあるからな」という言葉が好きで、自分で何かを考えているつもりがいつの間にか自分以外のことに束縛されていることが本当にあって、この文章を読んだ瞬間本当にハッとさせられました。
濃密な情景描写・心情描写
アーガルたちとむきあった瞬間、エラゴンの頭のなかにさっきの光景が浮かびあがってきた――積みかさなる村人たちの屍、その中央につき出た槍、もう大人になることのない、罪なき赤んぼうの亡骸。彼らの運命を思ったとき、身体のすみずみから、燃えたぎる炎のような力がこみあげてきた。それはたんなる正義感ではない。死という現実――自分が存在しなくなるという現実――への、強烈な嫌悪感だった。その力は彼のなかでどんどん大きくふくれあがり、爆発寸前にまで達していた。
pp179より引用
住んでいた街をブロムと共に後にして、最初にアーガルとの戦闘になったシーン。
とっさに飛び込んだ細い路地は行き止まりで、二人のアーガルが立ちはだかる場面におけるエラゴンの心情を表現した文章なのですが、とても短い文章の中にエラゴンの生への力が読み取れます。
直前に見た村人たちのむごたらしい死体そして殺され方は想像以上にエラゴンを傷つけていて、そのショックはエラゴンに死への嫌悪感を与えるほどにまで膨れ上がっていたのです。
なんだろう、一言でいうとエラゴンの心情が目に浮かぶのです。目に浮かびすぎて死ぬほど感情移入してしまうんです。
「積みかさなる村人たちの屍、その中央につき出た槍、もう大人になることのない、罪なき赤んぼうの亡骸」という短いながらも悲惨な事実や将来を想像させる言葉の選び方がまず秀逸で、辛いことを想像させた上で「燃えたぎる炎のような力」という言葉でエラゴンが怖気づいていないことを示し、それどころか「爆発寸前」にまで達していることを表すのです。
長くない文章なのに、情景描写・心情描写が恐ろしいほどに詰め込まれていて洗練されているんです。
この心情描写の後には本作品の最初のクライマックスとも言える、魔法を行使するシーンがあります。まさに完璧な導入シーン。
心情がそのまま、無意識にブリジンガーを発動させたのです。
思い切りの良いエラゴン
エラゴンが足のバンドをしめるのを、サフィラはもどかしそうに待っている。〔用意はいい?〕 サフィラはたずねた。
pp213より引用
エラゴンはさわやかな朝の空気を思いきりすいこんだ。〔よくないけど、飛ぼう!〕
エラゴンの思い切りの良さを表すシーンで、好きです。
ブロムの協力を得ながらきちんとした飛行を初めて行うのですが、上手に飛ぶ方法など分からない、何より初めて飛んだ時の恐怖がまだ染み付いている。にも関わらず「よくないけど、飛ぼう!」とあっけらかんと言う。
良くも悪くもサバサバしているこの感じ、良いですね。
人間のやっかいな習性
口がすべって本当の名をいったとしても、大きな問題はないだろうが、できれば人々の記憶には残したくない。人間には、思い出すべきでないことを思い出すという、やっかいな習性があるのでな
pp227より引用
ティールムの街に入る前に、偽名を名乗るかどうかを相談した際のブロムの言葉。
人間の習性に踏み込んで「できれば残したくない」と言うブロムの考え方が好きです。
思いの外、人間は覚えていて、絶対にそれを思い出さないで欲しい時に限って脈絡もなく他人が思い出したりする経験ありませんか? 逆も然りで、自分にとってはなんともないことを思い出したつもりが、周りからすると「えっ?」ってなった経験。
ほんと、厄介な習性です。
本のすごさ
本を通して、この世にいない人が生きている人に語りかけられるなんて、すごいことだ。この本が存在するかぎり、著者の思いは生き続けるってことだものな。
pp255より引用
本がすごいことの一つは、一冊読むだけで自分が生きている間に経験できないことが経験できてしまうことです。
知の高速道路なんて言葉もあるように、現代で何かを学ぼうとする際には何冊か本を読めば概要を掴めてしまうほどに情報が溢れています。
単純な知識だけではありません。行ったことがない国、食べたことがない物、自分の考えとは違う登場人物……挙げだしたらキリがないですが、本を読むだけで一体何百年、何千年分の生き方を知ることができるのでしょうか。
コスパなんて言葉を使うのもおこがましいですが、本を読むことは本当に意味のあることだと最近あらためて思っています。
文章を残す、と言うのは世代を超えて自分の考えを残せるということで、例えば私はこのブログを16年近く続けていますが、
例え拙い文章だとしても16年前に書いた文章を誰かが読んで何かを感じてくれているとしたらとても嬉しいことです。
私が死ぬ前に、はてなブログのサービスが終わらないことを祈っています。その前に、はてなが潰れないことを祈るばかりです。
また2011年・2014年と同人誌を創り頒布しましたが、部数はわずかとは言え現在も誰かの手にありもしかしたら今後も誰かによって読まれるかもしれないわけで、幸せを感じるところです。また余裕ができたときには、本を作りたいなと思っています。
生きながら苦しむこと
ただ、これだけはいっておく。今まで多くの者がたちが、その信念のために死を選んだのだ。ごくあたりまえのように。しかし真の勇気とは、自分の信念のために、生きながら苦しむことだと思うぞ
pp260より引用
帝国アラゲイジアの王、ガルバトリックスは自分の意のままになるライダーを欲しているが故に、王に仕える気があるかどうかをエラゴンに尋ねるだろうとブロムが言うシーン。
死かどちらか選べと迫られたらどうすればいいんだ? とエラゴンが聞くと、信念のために死ねるのかと問い返される。
そこにブロムの上のセリフが繋がる。ブロムはエラゴンを諭しながらも、常に考えることを忘れるなと忠告を与えてくれる。
難しいですね。人生において選択が難しいことは多々あるわけですが、実際は直面しないと考えもしないことも多いです。
事前に考えていてもなお難しいのに考え続け苦しみ続けないといけない、来たるべきときに備えておけという深い言葉です。
口のしまりが悪い
やつに会ったことがあれば、そんな質問はしないだろうよ。あいつの口はしまりが悪くてね、いつもだらりとあいている。どんなことだって、心のなかにしまっておけないようなやつだ。
pp381より引用
ギリエドに居るドルムナッドという人に会うためにマータグが一人で街へ向かったけれども知り合いに姿を見られてしまい、そのことについてエラゴンと会話するシーン。
口の軽いやつであることを示すシーンですが、「口のしまりが悪い」という表現がとても好きなのです。どう考えても噂は広まるだろうことが想像できてしまい笑えます。その後の「いつもだらりとあいている」という言葉との繋がりも綺麗で、短い表現で端的にここまで表せられるのはすごいなと素直に思います。
とてもないがしろにすることはできません
「わたくしがどんなところから救い出されたのか、あなたに知ってもらうために。あなたのしてくださったことは、とてもないがしろにすることはできません」
pp598より引用
エルフのアーリアが、ギリエドにて酷い拷問を受けていたことを詳細にエラゴンに語ります。なぜそこまで詳しく話してくれるのかとエラゴンが問いかけた時の返答のシーンで、救い出してくれたことを「とてもないがしろに」できないと言うのです。
どれほど辛い状況だったのかを伝えることで、どれほどのことをしてくれたのかを感謝するというきれいなシーンなのです。感謝を表すために拷問の内容を詳しく語るという文章の組み立て方に感銘を受けました。
「あなたのしてくださったことは、とてもないがしろにすることはできません」という文章がとても好きです。
生の実感
エラゴンの息はふるえていた。次の攻撃にそなえるかのように、筋肉がピンとはりつめている。体じゅうの細胞に活力が満ち、ぞくぞくしていた。これほどまでに生を実感したのは初めてだった。
pp622より引用
ファーザン・ドゥアーの戦いにて、とてつもない数のアーガルたちに防戦を強いられるエラゴン。サフィラの背中に乗り、体を休める間だけ上空で旋回しようとするシーンにおけるエラゴンの心情描写なのですが、ありきたりではあるものの「生を実感」という言葉がここで使われることがとても良いですね。
少し上で紹介したセリフにあるように、自分が存在しなくなるという現実に対して当初エラゴンは嫌悪感を抱くほどだったのですが、それが今や戦場で生を実感するほどに成長を遂げたのです。
エラゴンはもちろん強くなりました。しかし、圧倒的なアーガルの数相手にまずい状況が続いている、一歩間違えば命を落とす状況です。個々の戦いではなく戦場全体における群の戦いとなっていることもあり、エラゴンはこれまで以上に無力感を感じることも多かったはずです。
にも関わらず「生を実感」するというのです。まさに、エラゴンの成長に対するカタルシスを感じることができるのです。
終わりに
というわけで、あらためてドラゴンライダーシリーズの一作目、エラゴンを読了しました。
とても長い物語でしたが気づいたら読み終わっており、作品の骨太さ、そしてファンタジーのワクワクさをあらためて感じた一冊でした。
ドラゴンライダーシリーズはもう少し続きますので、記憶が新しいうちに引き続き読み進めたいと考えています。
二作目以降の感想も是非楽しみにしていただけたら幸いです。
*1:様々な定義がありますが、ここでは現実の世界ではなく架空の世界を舞台にした作品という意味で使います