隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

働きすぎても視野が狭くならないようにする努力

をしようとしている時点でもう負けなのか?

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でも、働くという営みがある一線を超えると、目の前の仕事以外は何もできなくなってしまうことがあり、そうしなければならない局面は人生や社会にはそう珍しくないのかもしれない。いや、珍しいわけがない。そのようになっていく中年はいくらでもいる。すり減りながら働いていく中年。きっと、何かの必然性があってやっているのだ。それが強いられたものか、選んだものか、選んだ結果として強いられる結果になったものかは定かではないが。

働きすぎるとブログもSNSもできなくなって視野も狭くなるな - シロクマの屑籠


確か今日の出社中の電車の中だったと思うけれども、上記ブログを読んでなんとも言えない気持ちになった。
なんとも言えない気持ちになったのだけれども、その時はとりあえずはてブして、またいつか考えようと思った。
退社後、全然関係ない悲しいニュースを見て気分が最悪になって、そういえば朝読んだブログのことを唐突に思い出してしまった。
で、更に憂鬱な気分になったので、ブログでも書かないとやってられないと思って筆を執った。


社会人になってから、お金と時間のバランスを取ることが難しくなった。
一番最初に感じたのは、社会人になってから参加したコミケだった。

「これまでで一番お金に余裕があるけど一番準備に余裕がない」などという社会人コミケあるある、笑えるけど笑えないあの格言である。
この格言のパワーアップ版というか、上位版がある。2018年に、かつてないほど体を壊しかけたときに自分のブログで自分で作ってみた言葉。

これまでの人生で一番体が壊れてるけど、一番お金もらってる、みたいな。

限界 - 隠れてていいよ


良くも悪くも頭が仕事で疲弊すると、新しいことをしようとする活力がどんどん失われていく。
人にもよるかもしれないが、自分にとっては、新しいコンテンツを取り入れるという行為は、非常に体力を消耗する行為であり、迂闊に手を出せない。

回避策の一つは、的を絞ること。
現在の自分にとって、『ブルアカ』がその一つであり、現在平穏を保てている理由の一つでもある。
絞ることで、そこに注力ができるので、体力の消耗を最小限に抑えることができる。かつ、新しいものに触れているという意識を持てる。

そもそも、なぜ体力の消耗があることをわざわざやっているかというと、それは視野が狭くならないようにする努力と言えるかもしれない。認めたくないけれども。
やはり、新しものに触れないと、自分の頭がどんどん腐っていくように思える。
だから、ブログを書き続けてアウトプットして、それらしい自分を保とうとする努力をする。

アニメをちゃんと追いかけなくなってからかなりの年月が経ってしまったが、結果、今ではアニメ体力がすっかり失われてしまった。
アニメ体力とは、新しいアニメを見る体力。常に最新の情報に触れて、頭で理解して、体に染み込ませていく作業。

今のアニメのことが肌感覚で分かり言語化できる状態が望ましいとずっとやってきたが、いつしかそれはできなくなってしまった。能力がないのではなく、時間がなくなった。

いや、これはいいわけである。
年齢を重ねるに連れて、自分の人生における優先度が徐々に様々なものに分散して、アニメに対する情熱が薄れていったということなのだと思う。
アニメが嫌いなわけではないし、今でも大好きだけれども、一時期のような、人生の中で95%位の割合を占めるぐらいの好きパーセンテージからは程遠い。
それは認めなければならない。潔く。

社会人になりたてのころは、熱意が失われていくことに恐怖感と焦りを常に持っていて、そうならないようにとにかく努力をした。
でも、徐々にストレスという魔物に負けていたように思う。

ずっとブログを書いているがゆえに、過去の自分の気持ちを取り出せるのは幸か不幸か。時系列で以下に並べてみる。社会人というキーワードで検索してピックアップした。
長いので、時間があるときのお供にでもしてほしい。

忙しくなればなるほど、アニメを見る時間は限られてきます。アニメは溜まっていきます。しんどいですよね。
もしこれが改善できなければ、社会人になってさらに時間がなくなったとき、アニメから疎遠になってしまうのではないか、と思いました。だから、何とか考え方を変えねばと思いました。

『まどか☆マギカ』6話から9話を一気見して感じたこと - 隠れてていいよ

社会人になる1年前くらいの内容で、まどマギをリアルタイムで追えず、ある程度一気見せざるを得なかったときに書いた内容。
元記事を読むと分かるが、全体的に必死になっている。

来年から社会人のため、ブログ更新云々の前に、アニメを視聴し続けられるかが不安です。
ブログ更新に関して言えば、前述した通り全話の感想を書くスタイルから考察スタイルに切り替えつつあるので、何とか来年以降も更新し続けられると思っています。

私がアニメ感想ブログを続けている15の理由 - 隠れてていいよ

当時、アニメ感想ブロガーに聞いてみた15の質問に答えたもの。質問は「 4月から新作アニメが放送されます。4月から新生活を始める方もいると思いますが、今後のブログはどのように続けていこうと思いますか?」というもの。まさにストレートな質問であった。不安だったそうだ。

私は社会人になってもアニメを見ていますが、アニメを視聴するペースは別として、見ている量自体は、最盛期に近いものがあります。すなわちほぼ全部見てる、という状態です。またブログ更新頻度も、それなりに上がっています。

この現象に対して、当初は深く考えていなかったけど、やっぱり気になったので考えた。そうしたら、それは「怖いから」だという事がわかった。

これまでアニメに当たり前のように接してきたわけです。でも、もし、社会人になったからといって「ちょっと忙しいから見るアニメを絞ろうかなぁ」とか言って、思うだけならまだしも実際に実行してしまったら、きっともう二度とアニメに対して熱を持って接することができないかもしれないという怖さがあるんです。

良かった、まだ変な方向に傾いていなかった - 隠れてていいよ


この記事は、全体的に、負けそうになっている自分に言い聞かせている内容で、今読み返しても結構えぐられるものがある。
これ以外にも、結構核心をついたことを書いている。

怖い。今アニメを見るのを止めてしまったら、なんとなく戻れない気がするのです。今アニメに対して考えることを止めてしまったら、なんとなくアニメから離れちゃう気がするのです。16日に「結構忘れてる、だけど好き」が成り立つ理由という記事を書いたけど、多分この記事の自分の中の本質は、怖いから、だと思う。怖いから、理論武装しないと戦っていけなくなっている。

◯◯を卒業する、とか言葉があるけど、実際卒業なんてしなくていいはずなんです。卒業させているのは、周りの環境だとか世間の目だとか現実問題とか、そういうのがあるからですよ。
でもやっぱり環境が変わって、生活が変われば、そういう「卒業」という言葉がよぎる。いや、完全にやめることはないかもしれないけど、「減る」という方向へ流れる。

良かった、まだ変な方向に傾いていなかった - 隠れてていいよ

そうやって、無意識にセーブを掛けて物事を楽しめなくなっているという現状を再認識して、凄く怖くなったのです。無意識的に打算的になっている自分が怖くなったのです。

良かった、まだ変な方向に傾いていなかった - 隠れてていいよ


「怖くなった」という言葉の使い方からして、やはりもうそちら側へ倒れようとしていたのだと思う。


thun2.hatenablog.jp
たくさんのアニメを録画して、全然視聴ができない状態を逆説的に感情放出したような記事。
アニメを見れていないのは、自分が原因であることなんて分かっているけれども、書かずにはいられなかったのだと思う。

thun2.hatenablog.jp

でも、後からちゃんと反省した記事も書いていたようで、自分ながらに今あらためて、偉いと思った。

人それぞれ何をしたいかによって環境の整え方は違うと思いますが、現状のハード・ソフト、あとインフラもですが、それらを加味してまずは「何ができるのか」を調べてみると、アニメの視聴環境の選択肢はぐっと広がるかもしれません。

もっとアニメを見たい、忙しい社会人におくるアニメ視聴環境のススメ - 隠れてていいよ

環境を整える方向性も考えていた時代。大真面目でした。

本当に愛があれば、どんなに忙しくてもアニメをアホほど見続けることができるのか。「ヤリヨウによっては色々できるでしょ。甘えてんじゃないよ」と思う時もあれば「まぁ、忙しいのなら仕方ないのかもしれないね」と思う時もあれば「今は充電期間中」と思う時もあります。

あるとき、Twitterでフォロワーの人が「忙しくて見れなくなったと言っている人は、言い訳を探してただけでしょう」(意訳)とツイートしていました。それを見て、胸が苦しくなりました。
なぜ苦しくなったのかといえば、自分ではそんなつもりはなかった、つまり「言い訳なんて探していない」と思っていたつもりなのに、その言葉を聞いてしまったら、それについて考えてしまった自分が居たからです。
「それを考えてしまうということは、心の何処かで、深層でそう思っていたということでしょう」などと考え始めてしまうのだから辛い。そんなつもりはない……はずなのに。

社会人になって「忙しくてアニメ見る暇なくなった」って言ってる人は始めから言い訳を探していただけでしょう - 隠れてていいよ

「一度距離をおいたらもう二度と戻ってこれなくなる」と、社会人の1年目に悩んだことを覚えています。本当に怖くて怖くて、怖かったからますますアニメに近づいて泥沼にハマっていました。でも、やってみないと本当にアニメから離れてしまうか分からない、というある種の達観が最近はありました。

社会人になって「忙しくてアニメ見る暇なくなった」って言ってる人は始めから言い訳を探していただけでしょう - 隠れてていいよ

東に「このアニメの楽しみ方がわからない」と言う人がいたら、行って楽しみ方を施し、西に「このアニメは糞」と言う人がいたら、行って「そのアニメは神アニメ」と言い、南に「どのアニメがオススメですか」と言う人がいたら、行って厚かましいぐらいアドバイスして、北に乃絵派だ比呂美派だと争っている人がいれば、詰まらないからやめろという(乃絵が天使に決まってるだろ)。
そんなことがもうできなくなっているのだ。

社会人になって「忙しくてアニメ見る暇なくなった」って言ってる人は始めから言い訳を探していただけでしょう - 隠れてていいよ

特に最後の「東に~」の下りは、冒頭に書いた「常に最新の情報に触れて、頭で理解して、体に染み込ませていく作業」の結果生まれるものだという気がする。

「社会人になったら時間がなくなる」ということはこれまでも感じていたことですが、今回社会人となって本作りを初めて行ってみて、その辛さに何度も挫けそうになりました。ここでいう辛さとは、時間をうまく捻出できないことに対しての辛さです。

脱稿って原稿落とした感じがする、もしくはアイカツ本について - 隠れてていいよ

アニメだけではなく、創作など様々なところで同じ思いを持っていることが分かる。

社会人になって私はある問題と戦い続けています。アニメが殆ど見れなくなったこと、です。それまで当たり前に、沢山のアニメを見てきたのに、しんどくて辛くてアニメが見れなくなって、でも見るために、必死にもがきました。
環境が変わる、歳を重ねる……原因はいろいろあると思いますが、一度でもアニメから距離を置くのが本当に怖かったのです。離れるのは簡単だけど、戻るのはとても力がいるという強迫観念を持っていました。

「アニメ“なんか”見てる場合じゃない」 - 隠れてていいよ

定期的に書かざるを得ないぐらい、精神が追い込まれるときが定期的に来ているんだろうなと思う。

果たして自分は、いつから毎日が「かけがえのないもの」だと思うようになったのか
少なくとも10年前は、思っていませんでした。
アニメや漫画など、自分が好きなものを全力で楽しむために、学業もほどほどに日々バイトに打ち込み、
稼いだバイト代はその月で全て使い果たしては、また稼いで使い果たし、と激動、しかし楽しいソロオタクライフを過ごしていました。

契機は、間違いなく就職でした。
2012年に社会人となり、既に4年経過し、5年目に入っている今、私の生活の殆どの時間は仕事に費やされています。
人は余裕が無くなると、ここまで何もできなくなってしまうものなのかと、何度も自分を問い詰めた4年間でもありました。

10年続けたはてなダイアリーからはてなブログへ移行しました - 隠れてていいよ

ちゃんとアニメを見ようと思ったのがいつぶりだろうか、という言葉を書けてしまうくらいにはアニメをまともに見ていなかったここ数年。
クール通してという意味では、食戟のソーマ1期をもしかしたら見ていたかもしれない。特撮であれば、ニンニンジャー仮面ライダードライブがそれか。

もうそれぐらいにしか記憶が辿れないくらいには「まともに」アニメを見ていなかったわけで。
多いときには、そのクールのアニメをほぼ全部(50本以上とか)を見ていたぐらいにはアニメジャンキーだったのに。

アニメから離れることをあんなにも恐怖していたのに、いざ離れてみると、辛さとか悲しさよりも、日々の忙しさのほうが勝っているというよく分からなさ。
案外人生なんてそんなもんなんだなと達観しつつも、でもアニメへの情熱も捨てきれないという支離滅裂さ。

アニメのリハビリ、まずは『ゆるキャン△』 - 隠れてていいよ

心を病んでしまい休職している最中でも、いやだからこそなのか、改めて振り返ってアニメから離れていることを書いている。
どんなに達観したように見えても、なにか言い訳をしたくなるぐらいにはやはり取り残されたくないという気持ちが見える。

そりゃ人間だから、変化しないことなんてないと私は思っているので、変化したっていいと思う。
個人的には、社会人になったことがアニメとの距離を変える大きなきっかけとなったので、これから社会人になろうとしていたり、いま社会人1年目2年目の人に言いたいことがある。
今アニメが好きなのであれば、その気持さえ忘れずにいてくれたらいいと思う。気持ちさえ残っていれば、いつだってアニメは見れるし、楽しめる。

私は、社会人になって、アニメから少しでも離れることになったら、もう一生戻ってこれないのではないか、という恐怖感を強く持っていました。
だから、絶対に離れてやらないという強い意志を持って社会人生活に臨みました。

しかし、仕事内容にもよるだろうしどのくらい仕事に対して情熱を傾けるかにもよるだろうけれども、やっぱりしんどくなってきた。 しんどくなって、アニメから意識的にも無意識的にも離れざるを得なかったような時期が事実あった。

しかし今、こうやって生きているし、アニメを見れているし、ゾンビランドサガのおかげで毎週生かしてもらっているし(ゾンビはもう死んでますけど)、なんならこの5年間ぐらいで一番ブログを書いている。
冒頭に紹介した記事を読んで、大きく3つの反応があるだろうと思う。1つは興味がない人、1つは「俺もやっぱりそうなってしまったよな」と思う人、そして1つは「それでも突き進んでいくぜ」と思った人。どれがいいとかはないけれども、自分はなんとか突き進んでいきたい。自分が死んでも代わりはいるかも知れないけれど、自分が死んだらもう自分が楽しめなくなってしまいますからね。

一生アニメを見て幸せでいたい - 隠れてていいよ

2018年には、やはりもう心持ちは決まっていたのだと思う。
そして「冒頭に紹介した記事」とは以下の記事のことで、いみじくも本記事を書くきっかけとなったシロクマさんの記事なのである。

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振り返って今はどうか。「自分はなんとか突き進んでいきたい」と2018年に書いていたが、突き進めているのだろうか。
今でもなんとか食らいつこうとしている、気はする。ブログでいろんな感想記事をいまだに書いていることは、一つの抗いだとは思っている。

働きすぎても視野が狭くならないようにする努力をしようとしている時点でもう負けなのか?
そうは思わないと言い聞かせ続けている。そんなもんかとも思うけれども、そうじゃないと思いつつ生きている。
それはやはり「自分はなんとか突き進んでいきたい」という言葉に集約されるような気もする。なんとか、突き進んでいきたい。

画像は「自分はなんとか突き進んでいきたい、と思っている人」で生成AIに作成してもらったもの