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隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

赤松健さんの漫画『UQ HOLDER!』にハマる

UQ HOLDER! 漫画

先日本屋に寄ったときにたまたま目に入ったのが漫画『UQ HOLDER!』でした。
作者である赤松健さんの前作品『魔法先生ネギま!』が週刊少年マガジンで連載終了したのが2012年。その翌年2013年から連載が始まり、2016年の第30号までは週刊少年マガジンで、それ以降は『別冊少年マガジン』にて連載が続けられている作品です。


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ネギまの連載終了が2012年だったことに、もうそんな前なのかという意味で今更衝撃を受けていたりもしたのですがそれは置いておいて、赤松健さんの次回作をなぜか急に読みたくなったので一気買いをしてしまいました。
2016年11月17日に最新12巻が発売されており12巻分を読破したわけなのですが、読み終わって感じるのは、あぁ面白い漫画のやつや……という気持ちでした。
本作品はネギまの未来を舞台にしています。魔法が世に知られてから10年が経過した世界であり、あまり詳細を述べるとネタバレになるのですが、ネギまのただの学生さんだったキャラクターがまだなんとか生きている……ぐらいには進んだ未来です。



読者の皆様方にとってはどうかは分かりませんが、私にとってとても重要な事実の一つで且つ本記事で伝えたい大事な事実は、この作品のヒロインがエヴァだということです。あの吸血鬼のエヴァちゃんですよ。
私はネギまのキャラクターで一番誰が好きかと言われたら、多分エヴァと答えます。強いし、か弱いし、頼りになるし、可愛いし、ツンデレだし……そんなエヴァのことがたくさん掘下げられ、あぁこれは甘酸っぱいぞ! と、エヴァに対してはこれまで中々抱くことがなかった乙女の一面をこれでもかと見せつけてくれる作品が『UQ HOLDER!』です。

もう1つ伝えたい大事な事実は、本作品がラブコメしているということです。12巻を通して読むと、フェイトやエヴァなど「ネギまのキャラクターがネギに恋している」作品であるという根幹が変わっていないことが分かり、それはそれで美味しい展開ではあるのですが、それは一旦置いておいて、この『UQ HOLDER!』のオリジナルキャラクターたちが織りなすラブコメ模様が本当に素敵なのです。

本作品のテーマは「ネギマの未来」だけではありません。不老不死の力を持っている・持たざるを得なかった者たちが織りなす物語という点もとても重要なポイントです。不老不死なキャラクターたちのラブコメはもうそれはそれは屈折しているのだから最高なのです。みんな自分の人生というか生き様というか、そういったものに対してどこか悩みを持っているのですが、そんな悩みと恋愛がうまく混ざったことによって発生するラブコメは至高です。特に不老不死と恋愛観は切っても切り離せないもの。時間が無限にあるからこそ生まれるもの、生まれないものというものがあるのです。わかりますよね、皆さん。

またこのラブコメをラブコメたらしめる大きなポイントのもう一つは、主人公である近衛 刀太(このえ とうた)です。上記画像の真ん中に写っているのが主人公なわけですが、見た目通り純粋で正直で……つまりはラブコメにおける天然な存在とは天然ジゴロに他ならないわけで……つまりは女の子をボンッとさせる存在なのです。悩むヒロインズとそれに絡む天然ジゴロ……ラブコメ好きには損はさせないストーリーがたくさんあると自信を持って勧めます。


本当は色々書きたいのですが、ネタバレになってしまうので是非読んでいただきたく思います。しかしそれでもあえて言うならば、桜雨キリヱというキャラクターが私は大好きで、もうこのキャラクター設計は中々に完成されていると思っています。不老不死な世界観なのですからもちろん見た目はロリで年齢はそれ以上。ロリを強調する眼鏡と帽子。ツンデレだけど基本はドSな正確。主人公をいつも「むのー」呼ばわり。人のプロファイリングが好きなくせに自分の核心を突かれるようなことを言われるとうろたえる……顔をすぐに赤くする……私にとっては非の打ち所のないキャラクターです。

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UQ HOLDER! 6巻より引用。この可愛さにピンときたら即購入した方がいい


ネギまとの関わり

さて本作品は、当初こそネギマとは直接クロスしないオリジナル要素がとても強いと感じていたものですが、作品が進むに連れ徐々にネギまの世界観というかキャラクターまでもが結構干渉してきます。これをどう感じるのかは個人に依るのですが、個人的には結構ワクワクしています。私がネギまという作品が好きなことがとても大きいと思っていて、心のどこかで「いつネギマのキャラクターが絡んでくるんだろう」と思っていたからこそ、徐々に交わりが増えていく感覚がとても心地よかったのだと思います。このあたりはバランスだと思います。

ただ12巻最後にして、いよいよ本格的にネギま世界観が強烈にやってきており、正直なところこの先の展開が読めないというのが正直なところです。ここのハンドリングをミスるといろいろとまずい気がするので是非赤松先生には頑張っていただきたいのですが(上から目線)、果たして果たして……という感じで。なんというか、期待と怖さが混じり合っているといいますか、これは凄く嬉しいけど一体どうやって収拾がつくんだろう……みたいな。怖いもの見たさの面白さというか。このあたりは読まないとわからない空気感があるので、是非手に取っていただけたらなと思います。

終わりに

一番最初に「あぁ面白い漫画のやつや」と書きましたが、これは赤松先生の作品はやはり漫画の基礎ができているというか、安心感を持って読み進められるなぁという意味です。怖いもの見たさの面白さとか書いていて矛盾しているじゃないかと思われるかもしれませんが、そんな高度な感想が出てくるのも物語の基礎やキャラクター設計の仕方が本当に上手いからなのです。良くも悪くも、抑えるところをキチンと抑えているのはさすがというところです。

本作品はネギまを好きだった人には手放しで進められる作品ですし、エヴァを好きだった人にも手放しで進められる作品ですし、ラブコメが好きな人には少なくとも12巻までは手放しで進められる作品です。
ちなみにお色気要素は抑え気味ですが、その分ラブコメ要素で妄想が捗ります。薄い本を探さないといけません。

漫画『UQ HOLDER!』、面白いので是非是非。

オタク殺すにゃ刃物はいらぬ 仕事をたくさんさせればいい

オタクというのは面倒くさくてややこしくて歪んでいる。好きだという気持ちに素直で、時間もお金もそれだけに費やすことができる。
オタクはコンテンツを愛している。溢れているコンテンツから自分だけの作品を見つけて没頭することができる。
オタクは自分の好きなものを周りに勧めたがる。押し付けだと思われても引かないくらいの強さを持つことができる。

人生の限られた時間を自分の好きなことに費やすことができる。たくさんの作品に触れ、感じ、想い、願い、生きる。


そこに、混じり気が出てくる。
時間は有限で、しかも生きなければならない。コンテンツを精一杯楽しみながら働かざるもの食うべからず。
100%のオタクの時間は徐々に奪われ、薄まっていく。希薄になっていく。

やりたいという気持ち見たいという気持ち楽しみたいという気持ちは、逃げ出したいという気持ち楽になりたいという気持ち死にたいという気持ちに変わっていく。だが生きねばならぬ。死ぬことは許されない。

万能ではなく、しかし意地はあったから、生き地獄を進まねばならなかった。コミュニケーションは絶っても、溢れ出る思いは絶てなかった。

想いを残すことは苦痛ではなかった。書くことで救われていた。だけどプライドは許さなかった。作品を楽しみたい気持ちは抑えられなかった。

辛い、死にたい、きつい、上手くいかない、方向を間違っている気がする、このまま進んでもいいのか。しかし生きねばならない、ならば薄くならざるを得ない。

だけど、撹拌しきっていない。濃い気持ちは残っている。混ぜきれば均一になるけれど、そう簡単に混ざり切る気がしない。


オタク殺すにゃ刃物はいらぬ 仕事をたくさんさせればいい
殺しきるなら覚悟を持てよ 撹拌するのに時間がかかる

10年続けたはてなダイアリーからはてなブログへ移行しました

アニメ『アイカツ』の前期エンディングテーマ「カレンダーガール」。
この曲の歌詞で、今もずっと私の心に残り続けているものがあります。

何てコトない毎日が かけがえないの
オトナはそう言うけれど いまいちピンとこないよ

アイカツ』1年目 前期エンディングテーマ「カレンダーガール」より


生きている毎日が、かけがえないものであると大人は言うけれども、
今まさにアイドルになろうともがいているものたちに取って、それはピンとこないという。



果たして自分は、いつから毎日が「かけがえのないもの」だと思うようになったのか
少なくとも10年前は、思っていませんでした。
アニメや漫画など、自分が好きなものを全力で楽しむために、学業もほどほどに日々バイトに打ち込み、
稼いだバイト代はその月で全て使い果たしては、また稼いで使い果たし、と激動、しかし楽しいソロオタクライフを過ごしていました。


契機は、間違いなく就職でした。
2012年に社会人となり、既に4年経過し、5年目に入っている今、私の生活の殆どの時間は仕事に費やされています。
人は余裕が無くなると、ここまで何もできなくなってしまうものなのかと、何度も自分を問い詰めた4年間でもありました。




というわけで、なんとなんと、ブログを書き始めてから10年が経過しました。おめでたい。
正確には、はてなダイアリーの「隠れてていいよ」は、2006年9月25日 03:09:52 に始まりました。
せっかくなのでキャプチャを取りました。

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素直に、10年続けられた自分を褒めてあげたいと思っています。
年齢を重ねるにつれて続けることの難しさを実感していたからこそ、この10年という期間は、改めて自分を鼓舞するものとなりました。

そして今回、10年続けたはてなダイアリーからはてなブログへ移行することにしました。
理由は、強いて上げるならばちゃんと新しいものを使っていこうと思ったからです。

ただ、はてなダイアリーは最近開発が止まっていて、当たり前のことができないことが多くて、それを補うためにコストを支払うのもそろそろやめようかなと思ったのも一因ではあります。
twitterのツイート埋込をするためにHTMLタグを修正する必要があったり、ニコニコ動画の埋め込みウィジェットがそのまま利用できなかったり……。

もちろんはてなダイアリーに未練がないといえは嘘になります。ただこの思考は、物を中々捨てられないあの思考だなぁと思うところもありました。
なので、今回移行することに決めました。


オタクとして10年

p-shirokuma.hatenadiary.com



私はおそらく、オタク迫害のよりリアルな時代よりも少し後の時代にオタクになったので、少し平和ボケしているのかもしれないですが、とは言え、「オタク」と言う言葉を出すことがはばかられる時代に生きていたことは間違いなく事実でした。

特に高校生の時代は、オタクを隠し続けることがとにかく必要で、バレたら人生が終わり、ということが冗談ではない、リアルでした。
だからとてもとても真剣に隠れました。

thun2.hatenablog.jp



私のブログ名である「隠れてていいよ」という名前の由来は、ご想像どおり「隠れオタク」にあります。
歌手KOTOKOさんの名曲『覚えてていいよ』というタイトルと歌詞に、隠れオタクの気持ちを投影させたものです。
誰が何と言おうと、自分はオタクだし、それを無理に誰かに言う必要なんて無い。ずっとずっと隠れててもいいんだよ、と。

10年経過して、明らかに世の中は変わりました。もう「昔のように」隠れる必要は無くなりました。
「オタク」という言葉を1ミリも出さないように神経を尖らせる必要はなくなりました。
MP3プレイヤーに入れていたアニメソング・エロゲソングを誰かに聞かれそうになって焦る必要は無くなりました。
深夜に、親に見つからないようにアニメを録画して視聴する必要もなくなりました。

もちろん、本当の自分をさらけ出すことはやはりまだできません。オタクはカジュアルに受け入れられるようになったものの、ディープに受け入れられるようになったわけではないというのが私の感覚です。まだまだ自制は必要ですし、余計な波風を立てないためにも、やはりまだまだ隠れる必要はあるのです。
時代が変われば、隠れる、が指す意味も変わってきます。

しかし間違いなく言えることは、この10年で、オタクに対する接され方はとても良くなりました。
すべての壁が取り払われる必要などは無いと思っていますが、しかし、とは言え、同年代の知り合いが、会社の先輩が後輩が……まるで息を吸うようにカジュアルにオタクの話題を出して会話をしている、そしてそこに加わることができる、そのことはとてもとても稀有なことだと私は思っています。

それでも私は、こんなにアニメやゲームが世の中に溢れている現状を嬉しく思う。私は、アニメやゲームがポピュラーになった社会にイエスと言いたい。本当にたくさんの人々がアニメやゲームを受け入れている社会にイエスと言いたい。三十年前には、こんな未来がやって来るとは想像もできなかった。長く生きていて良かった、と思う。

アニメやゲームがポピュラーになった社会に、イエスと言う - シロクマの屑籠

だからこそ、私もイエスと言いたいです。息をすることも憚られた時代を生きたことがある自分にとって、今は本当に生きやすい。
そしてこれからオタク文化に触れて行く若い人たちにとっても、そんなに悪くないことだと思う。そう、少なくとも「オタク」という言葉を出すことさえ遠慮された時代と比較すれば。

作品への感謝

この10年、とにかく感謝したいのは、たくさん出会った多くの作品たちです。
漫画、アニメ、ライトノベル、映画……様々のコンテンツに接して多くを学び多くを消費し、ときには笑いときには泣き、そしてときには生きる意味を見出すことができました。
何度も死にたくなりましたが、その時私を助けてくれたのは、作品の力でした。作品のキャラクターたちでした。

作品の中で頑張って生きているキャクターたちを見ていると、自然と「自分も頑張らなくては」と前向きになれました。
二次元と三次元を混同するなというような議論が度々見受けられますが、そういう次元ではないということをよく分かっていただきたい。
キャラクターは“居”るのであり、傍で見守ってくれるものであり、自分から語りかけるものであり、力をくれるものであり……つまりとても優しく接することができるものなのです。

自分の生死を一度でも二次元に左右されたことがありますか。キャラクターに出会い雷に打たれたような衝撃を覚えたことがありますか。
キャラクターの言動が許せず「ふざけんなよ!」と声に出したことがありますか。

とにかく私は、この10年、様々の作品に触れて、本当に心動かされ、成長することができました。なので、様々の作品にありがとうと言いたいです。

終わりに

記事を書いた日数:896日
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きっとこれからの10年もブログを書き続けると思いますので、よろしくお願いいたします。

『君の名は。』に私の頭は占拠されている

アニメ 映画 君の名は。

本記事は現在公開中の映画『君の名は。』のネタバレを含みますので、その点ご了承いただければと思います。
また、作品そのものというよりは、作品から受けた私の気持ちが多く綴られています。








随分と久々のブログの更新となりましたが、そのきっかけが新海誠さんの最新作『君の名は。』だったことは、必然ではないけれども偶然でもないと思っています。前作『言の葉の庭』のおかげで私は会社を辞めずに済んだと言っても過言ではありませんし、代表作『秒速5センチメートル』は、私の心をいつまでも掴んで離しません。

幾つかの映画を見に行った際に、新海誠さんの最新作が間もなく公開されるという情報を予告映像にて見ていましたが、正直なところ、予告映像を見ても心が踊らなかったことを覚えています。


当時を頑張って思い出すと、私はどうも「リア充っぽいなぁ」という感じていたようです。隣に座っていた女性二人組の一人が、予告映像が終わった瞬間に「これ面白そう」って言っていたのが耳に入ったのも、それに余計に拍車を掛けたのかもしれません。

どうも、若い男女が入れ替わるという。良い意味で普通の恋愛が描かれそうだ。予告からそんな表面上だけを受け取り、あぁこれは見ても自分は幸せになれないだろうなと強く感じてしまったことを覚えています。上から目線で言えば、あぁなんか普通の作品になりそうな気がする、みたいな(ひどい話ですが)。



というような自分の中の前評判だったものですから、見に行くとしても終了直前になるだろうし、最悪劇場に足を運ばないかもと思っていました。それよりも『シン・ゴジラ』に強く惹かれていて、『君の名は。』を見る前に既に2回劇場に足を運ぶほどでした。

ではなぜ『君の名は。』を見に行こうとしたかというと、それはもう単純で、仕事から逃げ出したかったからに他なりませんでした。昨年から今年にかけて、休まるどころかどんどんと苛烈になっていくプロジェクトと仕事量に、常に体と心は疲弊していて、荒んでいました。
見に行ったのは土曜日。幸いにして土日は休みだったものの、その週も毎日泥のように働き、夢にまで常に仕事が付きまとうほどでした。だから土曜日、目が覚めて、仕事が無いことにホッとして昼過ぎまで二度寝して、のそのそと起き上がり、スマホを触りながら、みぞおちの下辺りが痛むのを感じたとき、これはもう何かに逃げないと壊れてしまうと思いました。
だから、無意識的に劇場情報を調べ、チケットを取ったことを覚えています。
私は『君の名は。』にすがったのです。新海誠さんの作品なら、今の私に、良くも悪くも影響を与えてくれるはずだと、すがりました。

映画の開始時間までは2時間近くありましたが、家にいる気分ではなかったので、映画館近くの漫画喫茶で時間を潰しました。漫画喫茶までの道すがら、私は少し後悔していました。今この気分で、この精神状態で新海誠さんの作品を見ることは危ないのではないか、と何度か自分に問いかけていました。止めたほうが良いのではないか、でもチケット取ったからやっぱり見たほうがいいかな、などと逡巡していました。
少なくとも私の中で、新海誠さんの作品は劇物になりうるものなのです。何かが壊れるきっかけになる可能性を秘めたものなのです。
ただやはり、結果的に、私は土曜日の夕方からの上映に足を運びました。

飲み込めない

よほど最近の私は頭が仕事でいっぱいだったようです。本作品は時系列が多少複雑で、ちゃんと集中してみていないと、あれどうなったんだっけ、と混乱しがちではあります。とは言え、死ぬほど複雑ではないため、普通に見ていればそれなりに納得感は出てくるはず……なのです。にも関わらず、私は見終わって最初に感じたのは、もやもや感でした。
圧倒的なもやもや感だったのです。なんというか、消化不良感とも少し違う、感情をどこへ持って行ったらいいのか分からずただ右往左往するだけの感覚とでもいいますか。

各所に散りばめられた伏線に対して、つながりを持って接せられないと言いましょうか。その時々に対して「あ、そうそう、そうだよね」と思うだけ。「髪を切ったのは失恋したからだよね」なんて、思うだけ。なぜか線にならない感じが続いていました。
だからだったのもあるかもしれません、糸守市が彗星災害によって跡形もなくなってしまっているという事実が突きつけられるシーンは、本当に息をのんでしまいました。時間が一瞬止まりました。

災害の事実の発覚までは、若い二人が楽しそうに青春している、それに対してただ漠然と眺めているだけだった私は、災害の様子が描写された瞬間から頭がおかしくなりました。ぼうっとなってしまって、その後の話の内容が全然頭に入ってきませんでした。物語の中の時系列は完全に吹っ飛び、並行世界などという概念は僅かにも浮かばず、ただ画面上で繰り広げられる男女の姿を、ただただぼうっと眺めることだけしかできませんでした。

いつの間にか、糸守の住人は助かり、現在まで時間が針を進める部分まで来ても、まだぼうっとしていました。そして最後に、二人が出会えて、エンドロールが流れるそのときになって、初めて「あ、終わった」とようやく息を吐くことができました。

劇場が明るくなり、満席の映画館から人が流れだす波に逆らわないように、しかし思考はとても不明瞭でふわふわしていてどこか上の空で、エレベーターを待つ間も周りの楽しそうな感想も頭に入らず、ただただもやもやとしていました。


帰宅してから、ネットで作品についての考察記事やインタビュー記事を読みまくりました。貪るように読みました。今自分がホワっとしているのはきっと、普通じゃないに違いないということを確認したかったのだと思います。誰かが皆が書いている確からしい感想や考察が無性に読みたくなったのです。そこには、私が気づかなかった時系列の妙や、細かな演出の機微、そして素直な感想がありました。

同時に、ひどい気の持ちようで映画を見てしまったんだという後悔がありました。だから、2回目を見に行きました。

飲み込めた

細かな一つ一つのシーンについて、より強く自分の感情が現れました。さらには、点ではなく線として物語を理解することができました。三葉、そして瀧の心の機微が手に取るように分かりました。そりゃ泣くわ、切ないわと。
「お前さぁ、知り合う前に会いに来るなよ」という言葉の重さが、かたわれ時の奇跡が、二人の決意が、そして助かったからこその記憶の薄れが……全てが愛おしくて、ゾクゾクとしてくるのです。
舞台はどこなんだろうか、行ってみたいな、とか。口噛み酒って確か本当にそういうことをやっているところがあったような、とか。三葉って美人という設定だけど、スタイルの良さはどの程度なんだろうか、とか。東京まで意外と近いんだな、とか。それもまた結び、というフレーズは使いやすいな、とか。瀧くん……瀧くん……ってつぶやきたい、とか。音楽と映像が組み合わさると、やっぱり飛び切りすごいな、とか。オープニングがあるのは地味に良いな、とか。三葉ちゃんかわいいな……薄い本は出るかな……とか。
止めどなく想いが溢れてくるのです。楽しいのです。思考が占拠されるんです。


あぁ、また救われてしまったと。新海誠さんの作品に私はまた一つ、命を救われたと。1度目に見た自分の心はダメだったのだと気付かされ、2回目を見るために心を解きほぐすことができ、そして飲み込み涙することができました。そして、どんどんと明るい思考に頭が占拠されるのです。

すごいすごいぞ、皆が見ているぞ

twitter で『君の名は。』と検索すると、中高生の若い子達の感想がずらりと並ぶ。驚くほど並ぶ。面白かったと、見応えがあったと読み切れないほど並ぶ。これを素晴らしいと思わずして何がオタクか。暇があったら検索して読んでいる。
アニメや漫画などというコンテンツが、昔のテレビのコンテンツのように、若い子たちの共通言語として消費される土壌に来ているということはもちろん分かっているつもりでした。でも、これはやり過ぎだろうと。こんなヒットするなんて……レイトショーでもほぼ満席がまだ続いているとか……。すごいことだなと本当に本当に素直に思いました。

毎日twitterを検索して、若い子たちの思いを読むだけで、私は救われてしまっています。いつまでこの人気が続くんだろう、興行収入は一体どこまで伸びるんだろうと、ワクワクしながら毎日を過ごしてしまっています。

終わりに

本作の二人は最後に出会うことができましたが、出会えなかったという結末を迎えてほしいという願望が出てこなかったというと嘘になります。しかしそれはきっと、この物語が幸せな形で終わったからこそ思える、とても贅沢な願望なのだと思いました。
三葉、瀧、この二人の想いはとても強く、歪んでいない形で存在していました。だから、二人の想いが最後に叶うことは、物語としては必然だったのかもしれません。


あぁ、やはり新海誠さんの作品は素晴らしい。



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手裏剣戦隊ニンニンジャーファイナルライブツアー2016 千秋楽 感動した、本当に感動した

特撮 手裏剣戦隊ニンニンジャー イベント

いつもブログを見てくださっているに方はご無沙汰です、生きてます。

さて、2016年2月に放送が終了した『手裏剣戦隊ニンニンジャー』ですが、3月より最後のイベント、ファイナルライブツアーが開催されていました。
静岡を皮切りに、札幌、仙台、名古屋、広島、福岡と周り、そして最後の地として選ばれたのは大阪でした。
ファイナルと銘打ってあるとおり、ニンニンジャーとしての活動はこのイベントが基本的には最後となります。Vシネマなどの製作などで今後も何か動きがある可能性もありますが、ここで一旦一区切りとなるわけです。

そんなファイナルライブツアー、是非参加したく、大阪のチケットを取りました。大阪公演は4月23日、4月24日の2日開催。各日3回公演で、4月24日の最後の回が千秋楽でした。
チケットは23日と、24日の千秋楽の2枚取りました、いや、取れました。しかも結構前の席でした。


というところで、主に千秋楽の公演を取り上げつつ、ニンニンジャーという素晴らしい作品に出会えた喜びを皆さんにお伝えしたく筆を執りました。少し長めになりますが、是非、じっくり、作品を思い出しながら読んでいただけたら、そしてニンニンジャーという作品を、これまで以上に心に留めていただければそれに勝る喜びはありません。

久々にちゃんと戦隊モノを見た

私は戦隊オタクではありませんでした。普通に戦隊を見て育った普通の子供でした。とはいえライダーも含めて、特撮シリーズはそれほど子供の頃にハマっておりませんでした。一番印象に残っているのは初代の仮面ライダーで、1号2号の勇姿だけは今でも脳裏に蘇ります。しかし、それ以降の昭和ライダーそして平成ライダーは殆どノータッチ。存在は知っているものの、殆ど見たことがなかったし見ませんでいた。戦隊モノも同じで、こっちはむしろ、遺伝子レベルで刻み込まれている作品はありません。
なんとなくちゃんと特撮を見だしたのがこの1年ぐらいで、仮面ライダードライブにハマり、そして手裏剣戦隊ニンニンジャーにハマりました。今では特撮が大好きな人になってしまいました。


単純だけど熱い天晴、クールだけど恥ずかしがり屋な八雲、縁の下の力持ち凪、いい意味で一番子供らしい風花、悔しがったときが可愛い霞、実は心に弱さを持っていたキンジ……見るたびにどんどん魅力的になっていくニンニンジャーのキャラクターたちは、私の心を捉えて離しませんでした。


キャストの人たちはテレビの中ではもちろん演技をしているわけで、どんな人なのかは画面からなかなか掴むことはできません。優しい人なんだろうか、熱い人なんだろうか、仲は良いのだろうか……もちろんそういうことを抜きにしても好きになるのですが、中の人がどんな人なのかを知ると、より一層作品愛が増すという経験がお有りの方も多いでしょう。
そんなキャストに生で初めて会ったのは、私の記憶が正しければ映画『手裏剣戦隊ニンニンジャー THE MOVIE 恐竜殿さまアッパレ忍法帖!』の大阪での舞台挨拶でした。舞台挨拶があることを直前に知りまして、なんとかチケットを取って参加したことを覚えています。いつもテレビの中で見ているキャストの面々が目の前に現れた時、とてもとても感動したことを覚えています。
私はこれまでアニメ関連の中の人のイベントには参加していました。特撮と違って、アニメはキャラクターvs声優という関係で、ある意味切り離されていて、声優さんに直接お会いしたとしても、それは声優さんにお会いしているという区切りが自分のどこかにはあったように思います(もちろん、あのキャラクターの声優さんだああああ、って思いはしますよ)。しかし、特撮の場合、もちろんスーツを着て変身するとはいえ基本的に演技は本人たちがやるわけです。すると、その本人たちを目の前にすると、自分は今ニンニンジャーに会っているのか、それともキャストの人たちにキャストとして会っているのか、混乱してしまうのです。

ただおそらくは、ニンニンジャーとして会っているし、キャストの人たちもヒーローを演じてくれていることは分かります。それは、時折「素が見える」と感じるからだと思います。そして素が見えると、その人の人となりが、キャストたちの仲の良さが一発で分かってしまいます。その後、英雄祭にてまた直接キャストを見ることができる機会がありました。そして、もう大体分かってしまいました。ニンニンジャーのキャストはとても仲が良いし、楽しそうだし、だから見ていてこっちも笑顔になる、と。

スケジュールの関係上、東京ドームシティのGロッソでの素顔の戦士たち、すなわち中の人が登場するショーは見れませんでしたので、英雄歳を最後にキャストの人達を生で見ることはありませんでした。なので、今回のファイナルライブツアーが久しぶりの機会でした。

ファイナルライブツアー

ファイナルライブツアーは二部構成です。第一部はヒーローショー。実際のキャストが登場する豪華な内容です。そして二部はトークショー&抽選会&ライブ。合計で約2時間弱と、非常に濃い内容でした。

ヒーローショーのストーリーは結構ちゃんとしていました。牙鬼家を倒して、それぞれの道を歩みだした天晴達。ある日、ニンジャ祭りと称して、ニンニンジャーに会えるというイベントが開かれると聞いた面々は、そんなはずはないだろうと、知らず知らずに集結することになる。そこで待っていたのはニンニンジャーに扮した妖怪たち。牙鬼家復興を企む祈祷師・臥待天骸(ふしまちてんがい)が裏で糸を引いていたが、その真の目的は、十六夜九衛門もとい牙鬼新月の力を取り込み、自身が世界を支配することであった……というのが大筋となります。

霊体という設定とはいえ九衛門が登場したり、フタクチオンナやネコマタなどこれまで登場した特徴的な妖怪たちも活躍、またジュウオウジャーも応援に駆けつける、そして何より天晴を始めとしたニンニンジャーの面々が目の前で演じてくれるということに、感動もひとしおでした。客席に登場することもありましたので、その姿を、これまで以上に目の前で見ることができて、あぁ彼彼女らは本当にニンニンジャーなんだなぁと、よく分からない感情が押し寄せてきたことを覚えています。

天晴のこと、みんなのこと

千秋楽前日と千秋楽の2回見に行ったのですが、前日とても心配していたことがありました。それは天晴がとてもとてもとてもとても緊張している、ということでした。他のキャストと比較して明らかに素が見える回数が多くて、一つ一つの演技をなんとかこなしていると感じてしまうほどにはぎこちなさが見え隠れしていました。これはヒーローショーの間だけでは無く、トークショーなどでもそうでした。司会のお姉さんや他のメンバーが目に見える形でフォローする場面もありました。何か大きな失敗をしてしまうんじゃないだろうかと、見ているこっちがハラハラするほどでした。

いろいろ考えていました。多分、緊張するんだろうな、最後の公演だから、これまでの公演以上に緊張しているんだろうなと思っていました。千秋楽の公演で、失敗せず、上手く大団円で終わってくれたらいいなって思っていました。

そんな不安の中、千秋楽を迎えました。そして千秋楽に登場した天晴は、堂々としていました。緊張していないといえば嘘になりますが、しかし前日と比べて目に見えるほど見違えていました。天晴だけではありませんでした、他の面々も皆、どこか昨日と比較して、いい意味でリラックスできていたと感じました。


そしてその理由は、これは私が感じたことではありますが、千秋楽最後の一番最後の、キャストたちのコメントを聞いて分かりました。
最後のキャストたちのコメントは、正直なところ、涙なしには聞けませんでした。それほど熱がこもったコメントをひとりずつしていました。各人、コメント内容はもちろん違うのですが、その違う中に皆同じ思いが含まれていました。それは、ニンニンジャーを演じられるのは本当に今日が最後だ、ということでした。

それらの言葉を聞いて、私は、最終日は緊張とかそういうのよりも、もう演じられなくなるんだという想いの方が上回っていたのではないかと思いました。「一言一言演じるたびに、あぁもうこれ演じられないんだなって……」という、シロニンジャー役の矢野優花さんのコメントは印象的でした。その言葉を聞いた時、涙してしまいました。ニンニンジャーというヒーローは、とても華やかで、見ている人たちに勇気をくれて、憧れで……でも終わってしまうんだなって、改めて気付かされました。約1年間の放送は、長いようで本当にあっという間だったと視聴者である私は感じましたが、演じていらっしゃるキャストの面々も同じ想いだったようです。

ファイナル!|矢野優花オフィシャルブログ Powered by Ameba


スターニンジャー役の多和田秀弥(たわだひでや)さんが、コメントの中でヒーローと夢について話されていました。芸能界に入る前は夢も目標もない人間だったが、芸能界に入った時にヒーローになるという「夢」が漠然と浮かんだ。そしてそれが段々夢から「目標」に変わり、現実にするまでは辛かったが、ついに掴みとり現実となり、そして演じきることができた、ということ。小さい頃から特撮モノを見ていて、ヒーローというのはその見ていたヒーローが永遠のヒーローになるということ、今見ている子どもたちは、ニンニンジャーが永遠のヒーローになるのかもしれない、ということ……。
約1年という期間でしたが、間違いなく私の心には永遠に残り続けるヒーローとなりました。

FLT大阪〜FLT終了の巻〜です|多和田秀弥オフィシャルブログ「TAWA-BLO.」Powered by Ameba



コメントの中でこれも共通的だったのは、何度もしんどい時はあったけど、応援してくれるファンの人達、スタッフの人達、家族の顔が自然と浮かんできて、頑張ろうと前に進んでこれた、ということでした。当たり前の言葉に聞こえるかもしれないのですが、本当に皆、心から辛さと感謝の言葉を述べていらっしゃいました。
印象的だったのは、キニンジャー役の中村 嘉惟人(なかむら かいと)さんのコメント。あまりに辛くて、家で親に理不尽に当たってしまったことが何度もあったけれども、何も言わず受け入れてくれた、それがほんとうに嬉しくて、そして本当に助かっていたということ。
凪くんはまだ若いのに、ちょっとしっかりしすぎだと思っています。舞台上ではいつも周りをフォローする役で、まるで本編と同じだなと思ってしまったりもしました。

FLT in 大阪!|中村嘉惟人オフィシャルブログ Powered by Ameba


「学生生活が遅れてやってきたようだった」

もう一つ、コメントで印象的だったことがありました。それは、皆、毎日同じ現場に行って同じご飯を食べて同じ仕事をして……ということがとても楽しかったということでした。
特に、モモニンジャー役の山谷花純(やまや かすみ)さんの話は、涙なしでは聞けませんでした。
実はニンニンジャーの主演キャストの中で一番芸歴が長いのが山谷花純さんだという事実を私は知りませんでした。2007年に芸能界に入って、そこから下積み時代をずっと過ごしていた、名前もないような役も多く、それでもとにかく必死に前に進んでやってきて、そして掴んだのがニンニンジャーのモモニンジャー役だったということ。「私にしか演じられない役をもらった」という言葉はとても重かったです。サプライズで、仙台のお母さん妹さんおばあちゃんが見に来ていらっしゃったようで、そのことに舞台上で気づいたそうで、それも相まって、すごく涙もろくなっていらっしゃっていました。
とにかく前のめりにやってきたから、学生時代も殆ど周りと話すこともなく終わったそうです。だから、「毎日同じ現場に行って同じご飯を食べて同じ仕事をして」ということが、本当に楽しくて、「学生生活が遅れてやってきたようだった」と涙ながらに語られる姿は私も泣いてしまいました。

ヒーロー|山谷花純オフィシャルブログ「Yamaya's Diary」Powered by Ameba

俺は一生天晴です

そうして、アカニンジャーこと天晴、こと西川俊介に戻ります。最後の天晴のコメントは、実は他のキャストと比較すればとても短いものでした。ただ、想いが、一挙手一投足から伝わってきました。コメントの最後の言葉として「俺は一生天晴です」という言葉、いや叫びが出てきたことが、全てなのかなと思いました。

冒頭に、天晴が緊張していたという話を書きましたが、もう少し大きなスケールで見れば、そもそもニンニンジャーの赤を演じるということ自体がもう、とんでもない重大なことであって、ずっとプレッシャーと戦ってこられたのではないかと思います。天晴のコメントの一番最初の入りが「40周年という記念作品の赤を演じるということに驚いて」というところからだったのも、それが伺えました。

なんというか、すごい良いキャラクターだなぁ、ずるいなぁという(笑) これは演技がうまいということかもしれないけど、実際の役としてと、現実のギャップが一番ないのが天晴かもしれない。「何言ってるか全然わかんねーよ」って、すごくシンクロするんですよね。そして、何より前に前にと突き進むさまが、とても似ていると私は思います。本編でも、決めるべきところを決めてきたのは他でもなく天晴でした。

正直、まだヒーローやりたいしニンニンのメンバーともまだお芝居したい。寂しいけど、ファイナルが終わったということはこれから更なる夢に向かって僕達が羽ばたく瞬間でもあります。
ニンニンジャーは『夢』というワードを大切にしてきました。
天晴のようにみなさんも恐れずにどんな事でもまずは挑戦をしてほしいです。
そして夢を叶えてください。
夢を叶えて見る景色は絶景です。
夢の先には更なる夢も同時に生まれます。
人は死ぬまで夢を追い続ける生き物だと思います。
僕も更なる夢に向かって頑張ります。

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終わりに

なんというか、いろいろ書き足りないというか、上手く書けない、言語化できないというのが正直なところでしょうか。でもイベントは感じるものだから仕方ないね。それと、歌手のお二人とかアオニンジャーことヤッキーこと八雲こと松本岳さんにあまり触れていないのも特別意味は無いから深読みしないでよねっ。言語化って難しいね。
ファイナルライブツアーのDVDが発売されたら、また何か書こうかなぁと思います。思い出すことも多いでしょうし。それから、年末に書こうかと思っていた、ニンニンジャー話数単位選もGW期間中に仕上げられたらいいなぁと思っています。


何はともあれ、ニンニンジャーのキャストの方々、そして関わっていらっしゃったすべての皆様、お疲れ様でした。



しーのーばーずーーーーーーわっしょーい

20160429172024

「私はアニメを今でも大好きですという理由」

戯言

私はアニメを今でも大好きです。現在形? いや、強調系です。
そう、何かきっかけがあったというわけではなく、ごく当たり前に生活していただけなのに、「私はアニメを今でも大好きです」と言うようになりました。

それは好きなアニメが映画化決定した時のことでした。
「うわぁ、やっぱりきたかぁ。喜ばしいことだ。公開初日に行きたいのは山々だけど、仕事で無理かな」


公開当日。


「神だったwww」「これぞまさに正当系劇場版と言える」など絶賛の嵐だった。仕事場のトイレの個室でSNSを流し見した。

次の休みに見に行こうと思っていたが、しんどすぎて寝てた。そもそも、意欲が本当にあれば、前の日までに指定席予約しているはずだ。


最悪だねこりゃ。

自分が好きなものに対して、理由をつけないと自分を保てなくなっている。仕事、疲れ、眠い、環境の変化……アニメは楽しい、アニメは面白い……アニメは……本当に面白い……んだよね……?


時々、ふっとテレビつけた時にやってたアニメ見ても
「おっもしろー。やっぱアニメ面白いなぁ。活力をもらえる」
もっとアニメに対して時間かけないとなぁなどと意識的に思うようになり
「新作アニメ始まったけど、見続けるのは難しいそうだしなぁ」
アニメを積極的にチェックすることはなくなり、でも心の中では、アニメは面白いものだ、という強い気持ちだけが残った。

自分にとって好きは、「改めて確認するもの」ではなかった。アニメは、「私はアニメを今でも大好きです」と言う対象ではない。作品が好きだ、キャラが好きだ、ストーリーが好きだと、オタクらしく語ればいい、そういうものだった。

好きだという気持ちがあれば、心を強く保てると思っていたが、そうでもなかった。やはり、一度離れたものはそう簡単に戻ってこなかった。いや、戻すことに対してとてつもない力がいるのだ。だから、戻しにくい、ひどく戻しにくい。


誰かに聞いてほしいわけではない。自分に対して、もう一度言おう。それでも私はアニメが大好きだ。

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というわけで、絵は無理なので文章で創作してみた。
「私が大好きなアニメを見れなくなった理由」まとめ - Togetterまとめ



メッセージ性があるものって、キャラクターに代弁させることが、本当にキャラクターが思っていることなのかが分かるかどうかに掛かっているなと思います。件の創作ストーリーは、最後の2コマ、「一人でも多くの人に知って欲しい」から始まる部分で、自分の内なる気持ちを、全体の気持ちとして代弁することで自分を保とうとしている。
本来は、自分がそう思っただけであって、全体に適応されるなんてことはないし、あったとしても、この漫画のように強く言い切れない。なので、独りよがりに見える。にも関わらず、これ許されるのは創作だからで、このキャラクターはそういうキャラクターだということなんです。
ただ私は、ちょっと独りよがりに見えたんですね。ちょっと作者の思いが強く出すぎたのではないかなと。この辺が、作りて側からすると難しいのだなぁと思う。一歩間違うと、作者の人格批判みたいなものにつながりかねない。


好きなものを否定されると、自分が否定されたような気になるのは、これはもう冗談でもなく事実だと私は思います。極論、作品が傷つけられると自分が傷つけられたような気になる、ということだ。そして誰もが傷つけられて立ち直れるとは限らない……というのがこの漫画の本質なのではないかと私は思っています。




この漫画を読んでいたら、以前フォロワーさんが書かれた漫画を思い出したので、ぜひ紹介しておきたい。言葉は愛だ!
だれも幸せにならないアニメの話 | 磯貝祐司 [pixiv] http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=38020243

コンテンツを楽しむことに躊躇してはいけない

戯言

お金的にも、精神的にも!


コンテンツは水物だ。楽しめるその時に、全力で楽しまないと損。
そんなことは分かっているつもりだったけれども、忙しさとかそういうのを言い訳にしていた気がする。「いやー、忙しいからさ、なかなかできないんだよねー」と。

ただ、やっぱり、コンテンツはすごい力を持っている。すごいものを見たら、その後、ずっとボーッとしてしまうくらいコンテンツの力はすごい、何をするにも手がつかず、お酒を飲みながら無心に漫画を読んでしまうぐらい、コンテンツの力はすごい、力強い。

今日は、ぷよぷよテトリスというゲームの、有志が開催している大会の上級者同士の対戦を、Twitchで見ていましたが、内容が熱くて、興奮して、最後まで見て、そしてほわーとなっていました。すごいな、と。コンテンツの力はすごいな、と。ぷよぷよはやっぱり面白いなと思いましたし、ぷよぷよというものに対してここまで上手くなれるんだという尊敬の念が改めて出てきたし、何より熱い試合で、こんな面白い試合を無料で見れるなんてすごい時代になったなぁと。

ずっとPS4の購入をなぜか躊躇していましたが、やっぱり買うことにしました。今買わなきゃだめだなぁ、楽しめる時に買わなきゃダメだなぁ、と。自分はゲームはあまりやらないのですが、ハードをなんだかんだ買ってたりします。買うときはは大体、好きなゲーム・やりたいゲームが出てくる時です。思えば、PS2は、ぷよぷよフィーバーがやりたくて買ったのでした。PS3は、true tearsのBD BOX発売に合わせて、BD再生機として買いました。PS VITAは、絶対絶望少女を買うために。そして今、PS4は、ぷよぷよテトリスをやりたくて。

買わないで後悔するより、買ってコンテンツを楽しむことが何より素晴らしいことなんだろうなと改めて気付きました。ありがとうぷよぷよ