隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

障害を持つキャラクターを意識しないことは可能なのだろうか

double-techou.hatenablog.com



上記記事が目に入りまして読んだのですが、こういう視点は意識して持たないと私は本当に考えないんだなという感想が最初にありました。
これまでアニメに対して、そういう見方、つまりもっと当たり前のように障害者が出てくるようになってもいいのではないか、ということを考えたことがありませんでした。
当たり前のようにとは、理由なくということです。

元記事の筆者がおっしゃるように、障害を持つキャラクターには何かしらの「理由」が付随していることが多いため、説明ができてしまう。
少なくともキャラクター紹介に載るレベルのキャラクターが障害を持っていて且つその理由に特に意味がなく当たり前のようにストーリーに関わってくる作品を、少なくとも私は挙げることができませんでした。アニメ作品かどうかにかかわらず、です。何か絶対に理由があったよなーって。

個人的に思うこととしては、キャラクターに意味のない記号を付けることってあるんだろうかということなんですよね。キャラクターというのは意味を持って生まれてくるものだと思ってます。
そして少なくとも私は、特別な何かを求めたくなってしまいます。記号がついているのだから。キャラクターの一挙手一投足には意味があると思ってます。キャラクターが24時間365日描かれるのならまだしも、そんなことはないので、私達はキャラクターの何たるかを表現されているものの中から読み取りきらなければならない。

「病気」とか「障害」っていうのは圧倒的な記号力を持っていると思っていて、流石にそこを無視しろというのは中々できないと思うんですよね。もちろん逆説的に、理由なくやる発想は全然あっていいと思っているものの。
キャラクターを知ろうとした時に、障害を持っているということを私は中々無視できないので「理由がない」と思わせるためには相当な工夫が必要な気はします。
以上が、現時点において自分の思っていることです。


以下はいろいろ思ったことを書いているので、お時間のある時に是非。

自分が触れてきた作品を考えてみる

私が深く関わったことがないだけで、理由なく障害を持つキャラクターが登場する作品はあるはず、ですよね。
実際、上記記事のコメントにて、例えば id:hokke-ookami さんが以下のような作品例を挙げていらっしゃいます。

>そんな普通の障害者が、何の理由もなくアニメに登場してもいいのではないか。

ややマイナーですが、映画『WXIII 機動警察パトレイバー』くらいですかね。
主人公コンビの先輩刑事側が松葉杖をついているが、その原因が最後まで語られない。
仕事に復帰しているほど治癒しかけているので、がんばれば走るくらいはできるという微妙さも珍しい。


ここからは、障害者という観点で私がこれまで触れてきた作品(アニメに限らず)をいくつか挙げながら考えてみます。繰り返しになるのですが、私はあまり作品を障害という観点で見てこなかったので、障害者探しのようなことをすることに対してあまり積極的にはなれませんでした。もしかしたらこれも、偏見なのかもしれませんが。

なお、挙げる作品についてストーリーにはそこまで深く立ち入らないようにするつもりですが、少なくともどのキャラクターがどういった障害を持っているのか、というような情報は記載されますので絶対にネタバレを避けたい方はご注意ください。

北斗の拳

最初に思いついたのは、北斗の拳でした。初めて漫画を読んだのは小学生の時だったのですが、正直、障害については意識していなかったと思います。代表的なキャラクターとしては、被爆しているトキ、盲目のシュウ、片足を失っているファルコなどでしょうか。これらキャラクターには、それぞれ理由が描かれています。その障害が、キャラクター及びストーリーを引き立てる装置になっています。なので、理由なくとは真反対のキャラクターたちとなります。
この3人の中だと、シュウのエピソードが好きですね。登場から退場まで、ストーリー含めて全部好きです。

HUNTER×HUNTER

キメラアント編に登場するコムギというキャラクターは、盲目でした。コムギの盲目の理由は、作中で明確に描かれていなかった思います(確か)。盲目そのもの対する掘り下げは比較的少なかったように思うものの、コムギというキャラクターを形作っている大きな要素であることは間違いなく、本キャラクターも理由なくとは真反対と思います。

クビキリサイクル

西尾維新さんのデビュー作であるクビキリサイクルは、副題に「青色サヴァン戯言遣い」と付いているように、サヴァン症候群の玖渚友(くなぎさ とも)がヒロインとして登場します。サヴァン症候群について実はあまり知らなかったのでググる程度に調べてみましたが、自閉症スペクトラム障害の周辺症状として現れる、という。障害であると考えて、問題はなさそうである。

サヴァン症候群は、Wikipediaを引用すると知的障害や発達障害などのある者のうち、ごく特定の分野に限って優れた能力を発揮する者の症状を指すということで、言わずもがな理由ありというか、玖渚友というキャラクターを形作るそのものですね。
しかし、クビキリサイクルを始めとする戯言シリーズを読んでいて、私は玖渚友に対して「障害者である」という意識をしていなかったように思います。上手く言語化できないのですが、記号的なものとして読み取りすぎていたのかもしれないなとも思うし、「天才的な能力」の方に引っ張られすぎていたのかもしれない(つまり、障害があることよりも、能力を持っていることに対して引っ張られていた)。

さくら荘のペットな彼女

本作について私はアニメを途中から見なくなったのと、原作も買っておいて積んでいる状態のため正確に描写があったかどうかはわかりかねますという前置きはさせていただきますが、ヒロインである椎名ましろは相当に変わり者でした。介護アニメなどと揶揄される程度には。サヴァン症候群なのではないか、と言われても否定出来ないぐらいの描写は多かったように思います(あくまで個人的な感覚です)。

公式(http://sakurasou.dengeki.com)のあらすじとして「なんと彼女は外に出れば必ず道に迷い、部屋はめちゃくちゃ、ぱんつすら自分で選べないし、穿けない、生活破綻少女だったのだ!」と紹介されるように、一般常識とはかけ離れた存在として描かれます。コンビニで、まだ会計をしていないバームクーヘンをいきなり食べだすシーンは相当印象に残っています。しかし、そんな彼女は天才画家であるという設定があります。

人によって捉え方はいろいろあると思います。日常生活がまともに成り立たないけれども特定の分野にて圧倒的な能力があるという設定は、典型的な天才記号だと言えなくもありません。繰り返しになりますが、私は椎名ましろに対して障害を持っているというふうには考えていませんでしたが、そういうふうに捉えられることもあるのだろうと思います。
bermerkids.hatenablog.com

絶対絶望少女

絶対絶望少女 ダンガンロンパ Another Episode』というゲームに登場するモナカという少女は、車椅子生活を余儀なくされているキャラクターでした。書いておいてあれなのですが、プレイしたのが約4年前で、本編にて車椅子の理由が明確に描かれていたかどうか、また描かれていた場合それが強くストーリーに関与していたかどうかを思い出せません。次プレイする機会があれば、メモしておきたいと思います。
thun2.hatenablog.jp

フォレスト・ガンプ/一期一会

映画作品を考えた時に最初に出たのが、本作品でした。この作品は小学校から中学生くらいまでの間に飽きるほど見返していたとても好きな作品なのですが、主人公のことを明確に障害を持っていると感じていたかといえば……正直よく覚えていないんです。多分、子供ながらには「ちょっとおかしい子」なんだろうなって思っていたと思うのですが、「障害」という言葉と直接結びつけていたかどうかの明確な記憶が無い。急に見返したくなりました。
映画の中の障害者像


おおきく振りかぶって

よくよく思い出してみると、主人公である三橋は少し吃音症だった気がします。もちろん、おどおどしているとか気弱であるという記号表現の可能性もあります。
実際、阿部くんは上手く話せないことそのものよりも、思ったことをちゃんと言ってくれないということに対してイライラしていたように思います。
吃音症は、比較的「理由なく」存在できそうなのかなと思う一方で、原因の一つとしてあげられる以下のような状態と結びつくことも多いのではと思ったりもします。

3 学習説
吃音は「学習された行動」であるという説である。吃音は、聞き手と話し手の間に生じる緊張や葛藤や不安などと、ことばの獲得期の非流暢な話し方が結び合って身についていくものと考える。話し手が自分の吃音を意識するにつれ、話すことを恐れたり、話さなければならない場面を避けたりするようになる。話すことに対するむつかしさや恥ずかしさを予期する気持ちが重なり合って、それがさらに吃症状をひどくしていくというのである。

日本吃音臨床研究会:どもり:悩み:改善|知っておきたい吃音知識_001_02

つまり、おどおどしていたり気弱だったり自身が持てないなどの性格と強く結びつくことで「理由あり」と感じてしまいがちになるということです。

終わりに

いろいろ考えては見たものの、仮に作り手側が障害を持つキャラクターを出して、それを意識させないような描写をしたとしてそこに意味を感じないと思うことができるかは正直分からないです。理由は冒頭にも述べたように、キャラクターというのは、全て意味を持って生まれてくるものだと思っているからです。

ここ数日間この記事を書きながらいろいろ考えていたのですが、考えはすっきりとまとまりませんでした。もう少し考えたいのですが時間が足りないので、本記事はここまでにしたいと思います。

最後にtwitterでフォローさせていただいている方のツイートを引用させてもらおうと思います。


「番組を楽しみにしている子どもたちの気持ちを考えてほしい」 BPO 視聴者から寄せられた意見を久々に読む

以下の記事を読みまして、久しぶりにBPO 視聴者から寄せられた意見を読んでみました。
最初にお伝えしたいのは、以下の記事、間違ってます。

sirabee.com


簡潔に誤りを指摘すると、引用している意見内容は「BPOの」意見ではなく「BPOに寄せられた」意見です。視聴者から寄せられた意見に対してBPOが反撃した内容がこれだ! という内容は誤りです。
にもかかわらず、記事タイトルだけでなく本文でも「BPOの意見」という捉え方ができる内容になっています。

記事内では、

視聴者からは「深夜の時間帯であっても、誰もが簡単に視聴できる地上波で放送するような内容ではない」という意見や、「深夜放送でも録画してしまうと悪影響を及ぼす可能性がある」など。要するに「子供が見たらどうするのよ」的な意見だ。

これらの意見に対してのBPOの意見がこちら。

苦情多数の深夜アニメ、BPOが出した意見に賛同続出 「ナイス反撃」との声も – しらべぇ | 気になるアレを大調査ニュース!


上記のように書き出して以下の「意見」を引用しています。

深夜のアニメに苦情が入り過ぎている。深夜アニメは子どもが間違って見ないように深夜に放送しているのであって、それに対して"子どもが見たらどうするのか"という意見を述べるのはおかしい。子どもが深夜アニメの時間帯に起きているのであれば、それは子どもを寝かさない親の責任であって、番組に責任があるのではない。

2018年8月に視聴者から寄せられた意見 | BPO | 放送倫理・番組向上機構 |

記事ではこの意見をBPOの意見だといっていますが、これはBPOに寄せられた意見です(関係ないですが、引用するんだったら引用元のURLくらい貼れよと思うし、注釈もなしに勝手に改行するなよと思う)。

該当意見はBPOのサイトにて「【「視聴者意見」に関する意見】」という見出しがついているため、上記記事の執筆者はBPOの意見だと勘違いしたのだと思います。しかしBPOでは「BPOに寄せられた視聴者の意見に対する意見」というのも昔から公開しています。今回のように「○○の意見がBPOには寄せられているけど、流石にその意見は違うのでは?」というような内容が多い印象です。

とはいいつつも、BPOの意見も書いてある

BPOは3つの委員から成り立っています。

この中でも、「放送と青少年に関する委員会」通称「青少年委員会」では、以下の委員会の説明にある通り青少年と関わりがある議題が取り扱われるため、アニメに関する話がよく出てきます。

青少年が視聴するには問題がある、あるいは、青少年の出演者の扱いが不適切だなどと視聴者意見などで指摘された番組について審議を行い「見解」を公表したり、制作者との意見交換を行います。また、放送と青少年の関わりを研究、調査しています。

委員会説明 | BPO | 放送倫理・番組向上機構 |


その青少年委員会の7月の議事録にて、BPOの委員の方の意見は伺えます。

夜のアニメ番組において残忍な殺人鬼に少女が追われるシーンについて、「残酷な殺人をするアニメで子どもに見せたくない」「中高生がこのアニメを視聴して影響を受ける」との意見が寄せられました。これに対し委員からは「これは放送時間帯的に大人を対象としたアニメ番組だと思う」「コミックをアニメーション化し放送する際には、様々課題もあるだろう」との意見が出されました。

第205回 放送と青少年に関する委員会 | BPO | 放送倫理・番組向上機構 |

アニメの問題だけが意見されているわけではない

2018年8月に視聴者から寄せられた意見 | BPO | 放送倫理・番組向上機構 | を見てもらえれば分かる通り、アニメの問題だけではなく報道やバラエティーなどについても扱われます。BPOがニュース記事として取り上げられるときはアニメの話題が多い気がするので、アニメがやり玉に挙げられているのではと思う方もいらっしゃるかもしれませんがそういうわけではありません。とはいいつつ、アニメ関連の意見はほぼ必ずある印象ですが。

7月にてアニメ関係で印象に残る視聴者の意見としては、「編成」に関する意見として以下を紹介したい。

日曜の朝に娘が楽しみにしている少女アニメがある。その日はアニメ番組を潰し、直前の情報番組を拡大して高校野球の内容を放送していた。
アニメ番組を潰してまでやる必要はあるのだろうか。番組を楽しみにしている子どもたちの気持ちを考えてほしい。

私も、日曜の朝に楽しみにしている特撮番組が高校野球によって潰され放送が遅れることを経験しているので気持ちは良く分かります。しかも特撮の場合、高校野球シーズンはクライマックス真っ只中であることが多いので、余計にもどかしいです。

BPOというと『まなびストレート!』というアニメ作品を思い出す

ところで、BPOと聞くと私はすぐにアニメ作品『まなびストレート!』を思い出します。本作は、放送中にBPOに寄せられた意見が原因で、オープニング映像のとある演出を修正せざるを得なくなりました。

問題となった、BPOに寄せられた意見は以下です。懐かしいですね。

アニメ番組。オープニングでスプレーでそこら中に落書きする演出があるが、こういう演出はやめたほうがいい。なぜならば、これを見た子供は真似をする可能性があるからだ。次に本編の中で、ミゼット型の車に女の子の生徒を荷台に乗せて先生が買い物に行くシーンがあるが、そもそも車の荷台に人を乗せて走行するのは、交通法に違反するはずではないか。ましてや教師がその車を運転して行くというのはとんでもないことだと思う。(同様意見1件)

2007年度1月 視聴者の意見(36歳 男 埼玉)


ちなみに「修正せざるを得なくなりました」と断定的に書いているのは、公式サイドからそのような話が実際にあったからです。Blu-ray BOX発売記念で行われたイッキ見オールナイトでのことです。
興味のある方は、以下の記事にて更に詳細を書いているので良ければ御覧ください。
thun2.hatenablog.jp


このことが原因で、私はBPOに興味を持ち出しました。今でも時々、BPOの意見は眺めるようにしています。

終わりに

BPOに視聴者から寄せられた意見を久々に読みましたが、得るものはありますね。昔からではありますが、議事録などを読む限り結論ありきの内容ではないので、好感は持てます。
みなさんも是非、BPOマニアになられてはいかがでしょうか。

最後に、過去にBPO関連で書いた記事をいくつか紹介して終わります。
thun2.hatenablog.jp
thun2.hatenablog.jp
thun2.hatenablog.jp
thun2.hatenablog.jp


今生きている幸せ

約6年ぶりぐらいでしょうか、1ヶ月程度の長期のお休みをいただきました。心と体を壊してしまいました。もうすぐ復職です。
この1ヶ月、心と体を休めました。が、同時に、リハビリも行っていました。

お知り合い(などという言葉は失礼かもしれませんが)のすぱんくさんの以下の記事を見て、私もなにか書いておこうと思って筆を執りました。
spankpunk.exblog.jp


久々にアニメをたくさん見ました。ブログには書いていませんが、読書もそれなりにしました。漫画も結構読みました。
筋トレやジョギングも再開しましたし、ブログもいつぶりだろうかというぐらいの頻度で更新しています。忙しく働いていたときにはできないことでした。

休職に入る前から考えていたことですが、働く時間が長過ぎることは、自分にとってメリットは無いな、と思いました。6年掛かってようやくこの結論ですよ。小学生か。

長いという言葉は人によって様々だと思いますが、毎日帰ったらご飯を食べて一息ついたらもう寝るしか無い、とう生活になるでしょうか。
家事をする気力など無いし、もちろんアニメを見たり読書をしたりする気持ちにも中々なれず、スマホゲームをちょろっとだけやったりして寝る、の繰り返し。

土日は、疲れをとったりストレスを解消したりする。ただ、すごいスピードで時間はなくなっていく、1日ってこんなに短かったのか、と。
そしてまた月曜日がやってくる。

こんな生活を6年以上続けてきましたが、心と体はやっぱり疲弊してたんだろうなと、体を壊して分かります。
立ち止まってみないと、案外壊れているということに気が付きにくい。なぜなら無理をするから。
今回は、心と体が、我慢するしきい値を超えて壊れたので、休むという選択肢が先に出たに過ぎない。


仕事は多かれ少なかれしんどいし、そういうもんだと思っているけれど、果たして身を粉にしてまでやることなのか。

非常に苦労して働くの意味で、自分の身体をこなごなに細かく砕くようにしてまで働くという比喩

引用: 身を粉[こな]にする(間違いやすいことば)とは? 意味や使い方 - コトバンク

もちろん、結論としてはそうではないと思っています。なので、休職前に転職活動を始めようとしていました。

正直言って、ありえないぐらい満ち足りた日々を送っている。
金さえあるなら一生この生活を続けていきたい。だが金がないのでそろそろ病気を理由に休み続けるのも限界である。
毎日がめちゃくちゃ楽しい。仕事が再開すると思うと憂鬱である。というか働いていたころ、いったいどうやって幸福を感じていたのか思い出せないくらいだ。
それでも金が無いので働かねばならぬ。きっと今の生活を将来、まるで夢のように思い出すこととなるだろう。その為に、いまここでこの日々をここに記す。

この素晴らしく満たされた幸福な日々を忘れないようにするメモ : ゲームばっかりやってきました


すぱんくさんの記事の中のこの部分、特に「というか働いていたころ、いったいどうやって幸福を感じていたのか思い出せないくらいだ」という部分は、本当にそう思う。
一体マジで、自分は6年も楽しかったのかなと。もちろん楽しさ以外の要素もたくさんあるので一概には言えないけれども。やりがい? でしょうか。
そして金がないので働かねばならぬ、も激しく同意。


学生時代、一度小飼弾さんにハマった時期があって、その時に読んだ『働かざるもの、飢えるべからず。』という本がありまして。

タイトルの通り、働かないものこそ飢えてはいけない、という本。
働かざる者食うべからずが社会で生きている以上は人は働かねばならぬ、だとすれば人が居るのだから社会が制度としてどうにかするべきという主張だった気がする。
ベーシックインカム制度が取り上げられており、読みながら「最低限のお金がもらえるなら働かないかもなー」と漠然と考えていました。


ベーシックインカム制度の議論がなされる時に必ず出てくるのが、「こんな制度を導入したらみんな働かなくなってしまう」という主張。
これに対するよくある反論としては「ベーシックインカム制度はあくまで働かなくても良い制度。働いても良いのだから、働きたい人は勝手に働く」というもの。


当時自分はベーシックインカム制度については結構肯定的で、働きたい人は勝手に働くだろうと、そう思ってました。
その気持の部分は今もそんなに変わっていなくて、ストレスを溜め込んで体を壊すぐらいなら働かない方が良いとは思っています。
とはいえ、今休職という制度で休めているのも会社がそういう制度を持ってくれているからでして、そんな状態で主張をしてもあまり説得力はないわけですが。

休むと母に伝えたときに「人生、何とかなるよ。どうにか生きていけるよ」という旨のことを言ってもらえて、やはり自分はいろんなプレッシャーを勝手に感じて生きてきたのかもしれないと再確認したことを覚えています。
これからは、ほんとうの意味でもっと手を抜いて生きていこう、と考えています。


休む前に同僚と昼ごはんに行って、しんどいしんどいと話していた時に言われたのが「しんどいのは、中途半端だからじゃないか」という言葉。

仕事を頑張る気なのか、程々にやるつもりなのか、そもそも人生において優先度は何なのか。そのあたりが曖昧だから、仕事もプライベートも中途半端にしんどいのではないか、と。
この当たりは言い返す言葉はなく、まさにその通りだなとうなずくしかありませんでした。背負うものが増えすぎたのだ、なんて中二病みたいな事を言っている場合ではない、と。


話がまとまらなくなってきましたが、結論としては、やはり仕事は変えようと思っています。
まずは復職したら体を慣らしていって、ただ仕事は、割り切ってやろうと。
そして、割り切ってやれるような会社に転職しようかなと。

なんてことをつらつらとブログを書いてアウトプットできる時間があるのも今だけかもしれないので、それも幸せとして感じておきたい。

心にしみる歌

久々にカラオケに行きました。いつぶりだろうかというくらい久しぶりだった気がします。

歌うは基本的にアニソンばかりなのですが、最近聞いていなかった曲を改めて歌いながら歌詞を見ていると、泣きそうになるのです。
身も蓋もないですが、ジンと来てしまった曲を1つ。

『A Happy Life』 / 林原めぐみ

A Happy Life

A Happy Life

私の大好きなアニメ『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』の主題歌なのですが、久々にちゃんと聞いて、というか歌って涙が出そうに……。
この曲を聞くとなぜ感動するのかというと、

  • まなびストレートという作品を思い出して泣きそうになる
  • 働くということを考えてしまい泣きそうになる

後者は前者と少し被るのですが、この作品の主題の1つが働く、なので否が応でも考えてしまうんですね。
2007年1月放送の作品で、昨年で10週年を迎えました。アニメ制作はufotable
2035年が舞台の設定で、高校へ行くことが当たり前でなくなり、生きていくことに様々の価値観が溢れている時代。
今思えば、廃校・廃部から救え、な系譜を受け継いでいるとも言える本作品ですが、この作品の何が熱いかというとやはり青春を精一杯に謳歌しようとしている点。
今しかできないことを精一杯やろう、というメッセージがこれでもかと突きつけられるので、気をつけないとやられます。青春はもう取り戻せない。

主題歌のタイトルに life とある通り、この主題歌はまなびストレートの主題にふさわしいわけで、歌詞の一つ一つが刺さります。

ほら 振り向いても もういないよ
チャンスなんてね そんなものだと
あおられても 動けない時だってあるの

初っ端からこれです。
チャンスの女神に後ろ髪はないの格言からイメージされたものだと思いますが、ここ聞くだけでもう涙が出そうになります。困難に立ち向かう主人公達のアニメを思い出すし、自分の境遇を重ねるし、もううわーっとなる。


また見返したいなと思いました。10年前のアニメですが、今でも十分に見れる作品だと思いますので、興味がある方はぜひぜひ。ぜひ学生の方にもおすすめしたいです。
まなびストレート! カテゴリーの記事一覧 - 隠れてていいよ


主題歌の強さ

それなりの数のアニメソングをカラオケで歌ったわけなのですが、歌っているとアニメの映像や当時のアニメの感覚がブワーッと蘇ってくるんだからすごいですよね、何がすごいってアニメソング、そして主題歌というものの強さ。
主題歌というものはそのアニメの主題であるべきだ、と事あるごとに私は主張していますが、逆説的に、そんな主題歌だからこそ聞いたり歌ったりすると、アニメが一気に押し寄せてくるんですよね。

アニメって良いなぁって、本当に改めて感じました。忙しいを言い訳にせず、もう少しコンテンツに関わって、またブログで積極的に発信していけたら良いなと思っています。
オチなし。

図書館はいいぞ

先日、昼っぱらから、久々に図書館へ行ってきました。
行ったのは、大阪市立中央図書館。
中央図書館(西区) - 大阪市立図書館


住んでる場所的にサクッと行ける感じではないのですが、図書館は広くて静かで蔵書数が多いことが求められると個人的には思っているので、ここまで足を運びました。
初めて行きましたがとても良好。入った瞬間に「あぁ、広くて色んな本に出会えそうだな」と思えるところがすごく良い。
後、検索システムがちゃんと使えるのがいい。たまに本当にひどいシステムが入っている図書館があるけれど、そのせいで素晴らしい図書館が最悪の図書館になるぐらい検索システムは重要だと思ってます。
加えて、キーボードでの検索をサポートしていればなおよしなのですが、本図書館はそこもきっちりサポート。基本的にはタッチパネル形式だけれども、応用としてキーボードでの検索をサポートする端末も用意しているという素晴らしい区分け。この図書館はいいぞ。

最近、西尾維新さんの『きみとぼくの壊れた世界』を読んだのですが、これがまた面白くて。いわゆる世界シリーズと呼ばれるシリーズで、これまで何故読んでいなかったのかと後悔するぐらい。
買っても良かったのですが、ちょっと図書館で探してみようかなーという気になって、世界シリーズだけでなく他の西尾維新さんの作品も何作か借りました。

全然関係ないのですが、素晴らしい小説に出会うと、自分もこんな作品を書いて人を驚かせたり感動させたりしたいと思ってしまいますね。
だいたいは書くところまで行かないのですが、書くギリギリのところまでモチベーションが上がる、そんな気持ちが結構好き。

いろいろ探したり読んだりしていて大体3時間くらいで退散。図書館の心地よさは半端ないですね。
お互い干渉せず、しかし皆同じ目的で同じ空間に居るっていう感覚がすごく好きです。オチなし。

憑き物が落ちたようだ

憑いていたものはなにか、そりゃ仕事である。

冷静に考えてみると、約6年間仕事から一度も離れたことがなかったんだなと。
もちろん長期休暇は取ってきた。しかし頭の隅には常に仕事が横たわる。

休職を決め何とか引き継ぎを終え休みに入った日の朝、胃の痛さは無かった。
あ、ここまで楽になるんだ、と。

「憑き物が落ちる」という表現があるが、「気のせい」という言葉と同じように、例えようのない何かに対して発せられる言葉のように感じていた。
「気のせいじゃない?」という言葉を使ったときの人任せ感、第三者感はすごい。

「憑き物が落ちる」は、「気のせい」よりは比較的具体的なものが伴うイメージがあるが、それでもまだまだ他人感がある。
しかし、今回休職して楽になって憑き物が落ちたように感じたときに感じたのは、あ、憑いていたのは仕事だ、ということである。

残念ながら、落ちっぱなしではなく、また戻らねばならない。
しかし、少しの間は、落ちっぱなしにさせておいてほしい。

限界からお休みへ

明るい話題ではないので、そういうのを求めている方は、そっ閉じしていただいたほうが良いかもしれません。


さて、前回の記事にて転職活動を始めると書いたが、なんのことはない、休職することになった。
限界 - 隠れてていいよ


この数ヶ月は精神が非常に不安定であった。
とにかく精神的に辛かった。限界で休みを取りたいと申し出たが、自分の性格上、おそらく休んでも回復しないのではと指摘された。
部分的には正しいと思ったので、まずは頑張って生活リズムを整えてみようと思った。
最初はそれなりに上手く行った。が、やはり根本的にメンタルがやられているのだ、そう簡単に回復するわけはない。
ましてや仕事しながらの生活リズムの改善など、それが今までできていなかったから体調を崩しているのに、思い返してみたらちゃんちゃらおかしい。
かかりつけの先生にもそのように指摘された、というか指摘された初めて「そりゃそうだよな」と思うぐらいには判断力は低下している。

そんな、判断力が低下している最中に転職活動を始めていたことが間違いであったことがわかった。
逃げ出したいという気持ちが全面に出ているわけだ、そんな状態で新しい場所を求めたら、良くないことが起きる可能性は高い。
できないことをできると言ってしまったり、本当はそうでもないのに「これが私の天職だ」などという思いが出ないとは言い切れないどころか、十分出そうになっていた、冷静に考えれば。

先生からも、休んだほうがいいよとずっと言われていたので、その言葉に従い休むことにした。
休まなければならないとこれまでも常々思ってきたが、今こそ、休まないとという思いが強かった。

診断書があれば手続きはそれなりに早く進むのだが、いかんせん引継ぎが面倒だ。
なまじ出社できなくはないので、引継ぎを余儀なくされる。しかし、精神的には参っているので、これが本当に苦痛なのだ。


休職ということに対して、世の中の人はどんな印象を持っているだろうか。うちの会社は割とカジュアルだった。
よくも悪くも受け入れてくれる土壌があった、そういう意味でチームメンバーには大変に感謝している。
一刻も早く休めと言ってくれている、本当にありがたいことこの上ない。

しかし、今持っている仕事をほっぽり出すということに罪悪感があり、それを思ってしまうとまたしんどくなってしまうのだ。
だから、もう考えないことにして、引継ぎに専念することにした。

このあたりが、生来真面目な性格が災いしているのだ(自分で言うなって話だ)。
抱え込んでしまうのだ。


もうずっと、ストレスの解消ということに対してうまく向き合えていない気がするのだ。
加えて、仕事がうまく進められないストレスが加わり、どんどんと追い込まれてきたのだ。
今回の休職で、仕事から離れるので、一度いろいろとリセットしたいと考えている。
いや、リセットすることが今回の休むことの仕事だとも思っている。

約1年前に以下の記事を書いた。
thun2.hatenablog.jp

働くことをちゃんと考えろよと、まなびが、みかんが、むっちーが、めいが、ももが、多くのキャラクターがあんなにも声を大にして言ってくれていたのに、果たして自分はちゃんと考えてきたのだろうかと、この記事を書きながら、今更ながらに10年前を思い出していました。

『まなびストレート!』 10周年おめでとう! 私は今楽しく働けているだろうか - 隠れてていいよ

そう、やはり何も考えていなかったのだ。転職活動をし始めて、初めて考えたかもしれない、それもごくわずか。
皆はどこまで未来のことを考えているのだろうか。


休職を終えたら、改めて将来のことは考えてみたい。
が、まずは休もうと思う。

もし、自分と同じように、死にたくなるぐらいにしんどくなったら、休むしかないのかもしれないと強く感じる。
そう簡単に休めないというのが事実としては横たわっているのはよく分かる。体が資本なんてクソ食らえである。
しかし、それでも休まないといけないのかもしれないと感じている。
幸い私はまだ心は壊れる直前で止まっている。だから休もうと思う。

限界

ご無沙汰しています。皆様お元気でしょうか。私はあまり元気ではありません。
限界、リミット、アウツ。。 もうだめだよというところで久々にブログを書いてみようかと。


社会人生活も6年以上が経過し、結局どうなったかというとサマリーは、給与は増えたけど体はどんどん疲弊していった、なのかなと。
オタクが社会人となって言いがちな「これまでのコミケで一番準備ができなかったけど一番軍資金に余裕がある」というフレーズがありますが、このフレーズに長期的感覚をもたせた感じが今なのかもしれないと。
これまでの人生で一番体が壊れてるけど、一番お金もらってる、みたいな。

アニメが見れないとかそういう話ではなくて、毎日が辛くて吐き気がする。
まだこれから2、30年は働かなければならないのに、資本となる体が壊れてしまっては元も子もないので、転職することを決めました。
とは言っても、まだ決めただけで本格的な活動はこれから。

社会人生活で学んだことはたくさんあるけれど、体壊せるほど働いてもまだ休もうとしないと思える、というのがある。
しんどかったら休んだらいいじゃん、って思うのだけど、逆に休むとしんどくなるから休まないとか、一見矛盾していることに対して頭が全然働かないとか普通にあるというのがすごい。
フィジカルよりもメンタルのほうがケアしにくかった。開き直りというのがすごく苦手。

多分、先のことを何も考えずにとりあえず働いてきたからこんなことになったんだろうなとも思う。
とりあえず今目の前のことを一生懸命にやればと、一生懸命にやりすぎたらやりすぎちゃいました、みたいな。

兎にも角にも、決めたのだから開き直ろうと努力しています。頑張ろう。

true tears Blu-ray BOXのために視聴環境を整えた人はどうだったか

ご無沙汰しています。本当は1ヶ月前にこの記事を書こうと思っていたのですが、気づいたらこんな日付に。
多少鮮度が良いうちにというところで、がんばって書きました。少し長めですがぜひぜひお目通しを。

さて、

anond.hatelabo.jp


今期もアニメを見れていないのでアニメの感想については直接返信することは適わないのですが、過去に視聴環境が劇的に変わったことがあるので、そのときのことなどをつらつら書いてみたいと思います。
なお「みんなは何使ってアニメ観てんの?」の問いに先に返信しておくと、全盛期でも以下のような感じでした。

f:id:thun2:20180318201000p:plain
via もっとアニメを見たい、忙しい社会人におくるアニメ視聴環境のススメ - 隠れてていいよ

音響は特にこだわりはありませんでした。

デジタル放送の思い出

デジタル放送というものをご存知でしょうか。何を言ってんだと思われるかもしれませんが、そう、今テレビをつけて映っている映像は大体はデジタル放送でしょう。このデジタル放送という仕組みに完全に切り替わったのは2011年の7月24日。それまでは、従来のアナログ放送も視聴することができましたが、この日を境にそれもできなくなりました。テレビ難民、なんて言葉もあったなと。

アナログ放送とデジタル放送、いろいろ違いますが、視聴者にとって一番分かりやすい違いは映像のきれいさ、だったと思います。
私が物心ついた時に見ていたのはアナログ放送です。アニメに関わらず、テレビはずっとアナログ放送で見て育ってきていました。

デジタル放送なんていうものが始まる前までは、私の家のリビングにおいてあるテレビはブラウン管テレビでした。メーカーやー型番はもう忘れてしまいましたが、黒色の32型くらいのブラウン管テレビだったと記憶しています。バカでかかった。ただ、以下の記事の写真のテレビが24型ということで、もしかしたらリビングテレビはもうちょっと小さかったかもしれません。
blogs.yahoo.co.jp


もちろんアナログチューナーしか付いていませんでしたので、デジタル移行にあたっては新しいテレビを購入することになりました。確かソニーブラビアシリーズで、大きさは24型だったと記憶しています。B-CASカードなんていうカードを挿さないといけないということに衝撃を受けていた記憶があります。アンテナはそのまま使えたのですが、確かケーブルが古かったかなにかで、同軸ケーブルを買ってきてアンテナ線とつないで云々という作業を父と一緒にやっていた記憶があります。

さて、そんなこんなで準備が終わって、チャンネルの設定などいろいろやってデジタル放送がついに映りました。
そのときの感動は……といわれると、確かにきれいでした。ただ、「おー、きれいやなー」とかそういう感じで声に出るぐらいで、「これは歴史が変わったな」とかそういう思いはなかったと思います(まぁ昔の話なので曖昧なところもありますが)。

ずこーってなった人もいるかもしれませんが、そう、ここまで引っ張っておいて自分の中ではデジタル放送に移行したことそのものは、それほど大きな感動はなかったのです。
では何か、というとそれはテレビ、なのです。

だけど優先順位は……

大学に入るまでは自分専用のテレビがありませんでしたので、高校時代は、家族の目を盗んでアニメをリビングで視聴していました。その反動もあり、親戚の方にいただいた入学祝を、私はアニメの視聴環境を整えるための軍資金として利用することにしました。そのときに購入したテレビは、モノラルブラウン管アナログ14型テレビ、でした。
14型モノラルテレビ C-14D20(S) 商品概要 | テレビ(三洋) | Panasonic
(こんな感じのテレビだったけど、ノーブランドだった気がする)。

アナログテレビ、しかもブラウン管かーい! って突っ込みを受けそうなんですが、2000年代中盤はまだまだアナログ放送は見れたし(むしろまだアナログが主戦場)、テレビも当時から大分と安くなりつつあったとはいえ、液晶テレビはそれほど安くはありませんでした。購入した14型のブラウン管アナログテレビは、近くの電気屋さんで一番安いやつで、確か税込み9,000円くらいだったと思います。
そしてテレビと一緒に、DVDレコーダーも購入しました。どちらかというと、レコーダーにお金かけるためにテレビは安くした、ですね。

アニメの視聴環境を整えるという意味では、画質(テレビ)なんかよりもむしろ、いかに快適に録画できるか(DVDレコーダー)のほうが重要で優先順位が高かったのでした。
レコーダーは東芝のRD-XS38。アニオタだったりレコーダーオタや家電オタの人だったら、この機種名でぴんと来るものがあるはず。今の東芝機は分かりませんが、少なくとも2006年前後の東芝RDシリーズはアニオタ的に強かった印象。RD-XS38も使い倒しました。
RD-Style - Wikipedia
東芝、200GB HDD搭載の地アナWチューナ「XS38」

実際、

  • アナログダブルチューナー、BSアナログチューナー搭載
  • ネットdeダビング機能など、PCとの連携の強さ
  • プレイリスト作成や編集などの機能の豊富さ

など、上げだすときりがないのですが、ガジェットオタクな気もあった私からすると、夢のようなマシンでした。

このレコーダーを手に入れるまでの高校時代は、家に1台しかないVHS録画機でアニメを録画していました。

  • Gコードは使えなかったので時間指定録画のみで毎日手動での録画(手動録画設定機能)
  • 野球延長したら自動で延長とかしてくれるはずもないので、野球の延長情報を知るためにリアルタイムで野球の試合をなるべく見て、「○○分延長します」の字幕を見たら録画時間をずらす(手動延長機能)
  • ダブル録画なんてできないので、多少時間がかぶってしまった場合はいずれかの放送が終わってEDの途中ぐらいで録画を止めて、別チャンネルの録画に即座に切り替える(不完全ダブル録画機能)
  • 時間帯が完全にかぶっている場合で且つどうしても見たいアニメがあったときは、友達にビデオを渡して録画をお願い(友達ダブル録画機能)

何が言いたいかというと、後にフルハイビジョンテレビに乗り換えて、テレビの質が上がることで劇的な感動を覚えることになる私ではありますが、「画質・音響」よりも「アニメを快適に録画・視聴する」という意味での視聴環境を整えることのほうが圧倒的に優先順位が高かったのです。だからこそなのか、テレビを良いものに買い換える、という意思がアニメ『true tears』のBlu-ray BOXが発売されるまで出てこなかったのです。

いよいよ! モノラルブラウン管アナログ14型テレビからフルハイビジョン液晶37型テレビへ

そんな私でしたが、テレビを購入してから約4年後、いよいよ転機が訪れます。そう、アニメ『true tears』のBlu-ray BOX発売でした。
当時ブルーレイを再生できる機器を持っていなかったため再生機器としてPS3を購入したのですが、考えた結果出した結論は、テレビも買おう、でした。

流石にこのテレビでBDを再生するのは寂しいというか勿体無い。綺麗な映像を綺麗に見れる環境を整えたい。さすれば視聴環境を整えないといけません。最初はPS3のみを買い、テレビは妥協するつもりでした。しかし日に日に欲求は高まってしまい、またエコポイントや決算月など色々な条件が重なりこの度テレビ購入と相成りました。

true tears Blu-ray BOXのために視聴環境を整えた人の数 - 隠れてていいよ

そう言えばエコポイント制度なんてものがあったなと懐かしむなど。
エコポイントの活用によるグリーン家電普及促進事業 - Wikipedia



購入したのは東芝のフルハイビジョン液晶37型テレビ REGZA 37Z9000

画質面では、新たに、超解像技術「レゾリューションプラス3」を採用。番組のジャンル情報や映像のヒストグラム解析を行うことによりアニメーション映像を高精度に検出し、アニメーション映像に最適な超解像処理を行うことで、輪郭部周辺のノイズを抑えた精細な映像を楽しめる。1秒で120枚の映像を映し出す倍速機能に加え、エリアを分割してバックライトを点滅させることで人の目に記憶された1枚前の残像を低減する「Wスキャン倍速」を搭載し、臨場感のある映像を実現している。

価格.com - 東芝 REGZA 37Z9000 [37インチ] スペック・仕様
このテレビはアニメよりもむしろゲームをするのに最適なんていわれたりしましたが、つまり何かって言うと、それなりに良いスペックのテレビでした。
何よりモノラルブラウン管アナログ14型テレビから REGZA 37Z9000というこのステップアップ感が、今考えるとすごいな、と。


それで、感想なのですが、このときははっきりと「すごい」と感じました。今まで自分が見てきたアニメはいったいなんだったんだろうか、とまじめに思うくらいには衝撃を受けました。
当時の感想を見つけたので引用してみます。

3日前ほどの記事で、REGZAの37Z9000を購入したことを書きました。初めて録画して見たアニメがはなまる幼稚園。綺麗だなぁと思ったものの、それで終わりました。そして次に見たのが刀語でした。ちょっと感動してしまいました。色が綺麗だなぁとか、くっきりしてるなぁとか…挙げだしたらキリがないのですが、つまりものすごーく満足してしまいました。

デジタル放送完全移行、より高品質なテレビの普及でアニメのDVD・BDは売れなくなるのだろうか - 隠れてていいよ

特に発色の良さには目を見張るものがあり、そりゃアナログ14型とフルハイビジョン37型を比べるとそうなのかもしれませんがそれにしてはあまりに鮮やかに色が見えたものですから、マジで「ほえー」とさくらちゃんばりに叫んでいました(いや、さくらちゃんは叫んではいないか)。
なお、はなまる幼稚園がいまいちだったと言うよりは、刀語がとてもきれいな色使いをしていて印象に残った、と言う感じです。

視聴環境によってアニメへの感じ方が変わる、ということに気づけるかどうか

モノラルブラウン管アナログ14型テレビからフルハイビジョン液晶37型テレビへと視聴環境が変わり感じたことで印象に残っていることは、以下のような部分です。

  • 発色がきれい
  • くっきりしている
  • 文字が読める

上記を特に強く感じた作品はアニメ『バカとテストと召喚獣』という作品だったのですが、特に3つ目は上2つとは別の軸で感動していました。
バカテスはいわゆる「シャフトっぽい」演出が多かったのですが、その中に文字ネタと呼ばれるようなネタが多用されていました。
例えばバカテスは学校が舞台なので黒板が背景によく描かれるのですが、その黒板に本編とは全く関係がないようなネタが書き込まれていたりとか、またアイキャッチにめっちゃ文字が詰め込まれていたりとか、そういった細かな演出が多い作品でした。

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via: ほねっこアニメ部屋 大沼心(シャフト・SILVER LINK.)っぽい画面作り集


これらのネタは本編では一瞬で画面が切り替わったりすることも多く、シャフト時代から「録画で見返すことが前提のネタ」などと言われていましたが、見返せば文字が見える、ということが前提にあったと思います。
なんせ、モノラルブラウン管アナログ14型テレビだと、文字が潰れてほぼ読めなかったのです。なのでいくら見返しても、一時停止しても、読めないものは読めなかったのです(14型テレビに顔をギリギリまで近づけて「読めねーよ!」って自分に突っ込んでいた記憶があります)。

バカテスは確か16:9の比率で放送されていた記憶があって(違ったらすいません)、アナログ14型テレビで見ると画面の上下に黒い帯がバッチリついており、ますます文字サイズが小さくなっていたと思います。ですので文字を読むためには、2chなどの実況で張られるキャプチャ画像を見たり、誰かが書いたブログ記事の画面キャプチャなどを確認する、という工程が必要でした。
それがですよ、画面目一杯にアニメ映像が「表示され」「くっきり読める」んですからもう感動したものですよ。このときほど、アニメの視聴環境を整えることが大切か、と思ったことはなかったと思います。
見えなかったものが見えるようになる感動は、並大抵なものではありませんでした。


ちなみに、true tears Blu-ray BOXのために視聴環境を整えたわけですが、当然 true tearsに対して感じる気持ちも、当時リアルタイムで見ていたときにはなかった感動を覚えました。

37型フルハイビジョンがなせる技なのか、PS3が素晴らしいのか、はたまた本放送時の視聴環境が悪かったのか、今まで以上に素晴らしく感じるシーンが多かったように思えました。特に、光が絡むシーン。後ろから光があたり反射するようなシーンは総じて良かったかと思います。

true tears BDBOX発売 乃絵派の視点から、もう一度この作品を考える - 隠れてていいよ

乃絵の初登場シーンは、天使がそこに居たかと思ったらそれは乃絵だった、であり、それは別にテレビの良さとかそんなのは関係がないのですが、強いて言うなら、一層乃絵の神々しさが際立った、でしょうか。

長い前フリでしたがまとめに入ろうと思います

さて、元増田が言っている

「視聴環境が違う人には、アニメが違う風に見えたり、聞こえてるんじゃないだろうか」

という仮説に対しては、間違いなくYesと答えたいと思います。ただし、本人がその違いを意識できているかどうかというと、Yesとは必ずしも言えないのではと思います。

私はテレビを買い替えてバカテスなどで違いを感じるまでは、発色が鮮やかである、くっきりであるということや文字が見えないことに対してそれほど不満はなかったのです。
なぜなら、自分が視聴できる環境ではそれが普通で、比較する機会などなかったし、比較しようというモチベーションもなかったからです。

ですが、テレビが変わってからは「このアニメはすごくきれいだ」というような、ストーリーの内容と合わせて「きれいさ」の観点が入ってきたと思います。
だからこそ、自分が当たり前のように享受しているこの綺麗な映像をまだ享受できていない人がたくさんいて、そんな人に対して「映像はきれいなのは当たり前で、その上でストーリーが良いんですよ」というような感想を書いていても、実はよく伝わっていなかったのかもしれない、と思ったりもしましたし現在進行系で思っていたりします。

では今の若い世代が、視聴環境の違いを認識できるような機会を持てているかどうかを考えてみると、まぁ普通に思っているとは思うんですよね。むしろ相当シビアに感じているのではと思ったりもする。
例えばアニメの配信と言えばその走りはニコニコ動画だったと思うのですが、プレミアム会員とそうでない会員ではそれなりに画質の差がありましたし「プレミアム会員にならないと」と思った人も一人や二人じゃないぐらいにはいるんじゃないかと勝手に思っています(とは言え当時は画質というよりは、快適にニコニコを利用できるかのほうが重要だった気はしていますが)。

ニコニコはもう新しくはないか。
では、さらなるデジタルネイティブ世代ならどうでしょうか。物心ついたときから動画配信サイト・動画見放題サービスは当たり前、スマートフォンなどのデジタル機器は当たり前、の世代です。
思うに今の若い世代は、一昔前と比較すれば、高画質で作品を楽しめる土壌が十分にできている、またはできやすい環境だろうと思います。そういう意味で、差を感じる必要さえなくなってきているのかもしれません。

例えば据え置きのゲーム機はDVDやブルーレイを見るための手段として普及した側面もありますがもし家庭に1台あれば、それらを利用して youtubeや動画見放題サービスを利用して、荒いとは言い難いアニメを見ることもできます。そしてこの記事の冒頭でも述べたように、今のテレビ放送はデジタル放送なので、極論、私達が必死になって買っていたDVDよりも平気で画質が良いんですよね。そんな映像を当たり前のように生まれたときから享受することが可能なわけです。
私がテレビを買い替えてからまだ10年も経っていないのですが、そう考えると、今の中高生って私よりも長い期間、高画質なものにたくさん触れているんじゃないかとすら思うんですよね、マジで。

視聴環境はこだわりだすとキリがないのですが、それなりの視聴環境という意味でいうと、今の若い世代が接している環境は案外悪くないのではと思ったりはします。
また、だからこそ元増田が言うような「視聴環境こだわらない派って増えたよね」っていう意見については、わざわざこだわりを持とうとするほど低画質に喘いでいる若い人は少ないのではと思ったりもするんです。
いつの時代も「もっと音にこだわる、もっと画質にこだわる」という層は一定数いると思っていますし、というかオタクってそんなもんだとは思うんですが、皆が皆、高みを目指しているわけではないと思う。

一歩間違えると「アニメをそんな環境で見ているの? いやいや、それは駄目でしょ。そもそもアニメというものはね……」みたいな老害のような意見にも捉えられかねないので、「視聴環境を整えるとすげーぜー」ぐらいな勧め方がいいなと思う。自分よりも視聴環境が整っていない人を下に見る必要なんて無いし、上から目線になる必要もないと思う。
とは言え繰り返しにはなりますが、視聴環境を整えたことでアニメにこれまでにない感動を覚えたことがある、ということはちゃんと言っておきたいとは思います。


で、記事を読んでいて、そして今でもふと思うのですが、

一昔前と比べると、ネット配信でアニメに初めて触れる人は増えたと思う。ネット配信が目指すのは「いつでも手軽に楽しむ」ことなので、それに伴い視聴環境も非常に多様化しているのは間違いない。

ネット配信は画質後回し、手軽に楽しめるのがメリット! って言う人が多いんですが、正直、ネット配信のアニメってそこまで画質悪いかなーと思うことはあります。
こういう話をすると「うっわー、ニコニコみたいなクソ画質でアニメ見てるとか可愛そう」みたいなことをオブラートで包んだり包まないで言ってくる人が居るんですが余計なお世話です。
そりゃ、よりきれいな環境で見れたほうが良いと思いますけれども。
www.nicovideo.jp
さくらちゃんはやっぱり可愛いと思う。


何よりアニメは、音響とか画質的な視聴環境が全てではないと思う。一番は、アニメに触れられるかどうかだと個人的には思っています。視聴難民という言葉は、もちろん今もあるのでしょうが、昔と比較すると格段に「見れないアニメがない」状態に近づいていると思います。とても喜ばしいことだとまじめに思います。

今の若い人には信じられないかもしれませんが、AT-Xのようなアニメ専門チャンネルに入っていないと見ることが出来ないアニメがたくさんありました。私は京都出身ですが、京都ですらそのようなアニメ作品がありましたから、いわんやさらに地方は、です。そんな時代を経験したことがある自分としては、スマホさえあれば手軽に最新のアニメさえ見れてしまう環境は本当に羨ましいし、繰り返しになりますが何より素晴らしいと思います。


後は、

AbemaTVで放送しているアニメ「ポンコツエスト」を試しに観て欲しい。簡素な背景、8Bitサウンドの音楽、シンプルなアニメーションの会話劇。明らかにスマホで観ることを想定して作られてると思うんだけど、今後こういう需要が増えていくんじゃないかなぁ、と予想している。んで、相対的に高予算高クオリティのアニメの立場が弱くなって行くんじゃないか、とすごく心配している。ちなみにポンクエは面白い。

こういった流れは、多分最近に始まったことではなく、昔からそういった流れはあったように思います。
今ハイコストパフォーマンスアニメが熱い! - 藤四郎のひつまぶし


特に最近そのような傾向が顕著なのかもしれませんが、最近のアニメ事情を追えていない私には今議論に参加する資格が無いので、追々調べてみようと思います。
なお、アニメは簡素だからとか豪華だからとかは二の次で、その作品から何を受け取って何を感じることができるかが全てだと視聴者の視点からは思います。
作り手側の考え方としては、板垣伸さんの以下の記事の内容が好き(あんまり元増田の話とは関係ないかもしれませんが)。
animestyle.jp


終わりに

このように、アニメについていろんな観点から語れるというところが何よりアニメの素晴らしいところ。最近ブログの更新が滞りがちですが、本当はこんな感じの面倒くさい意見のぶつけ合いとかをもっとやりたい。
特に、こんな老害みたいなマウント取るような記事を書くよりも、アニメについてもっと面倒くさい記事を書いていきたい。
つまり、アニメ見ろよってことですよね、分かります。

一周回って現実には居ないんだろうなぁって思う

anond.hatelabo.jp


分かる。ちょっと感覚が違うかもしれないけど、アニメキャラなのに一周回って「あぁ、いちごちゃんは現実には居ないんだろうなぁ」って思ってしまうくらいには分かる。
例えばアイカツのヒロインである星宮いちごちゃんのことを考えすぎると、「いちごちゃん可愛い」→「いちごちゃんもアニメで頑張っている」→「いちごちゃん……すごいなぁ……」→「いちごちゃんがいるから生きることができる」→「いちごちゃん本当すごい……なんであんなに眩しいんだろう……」→「いちごちゃんは現実には居ないんだろうなぁ」ってなる。


これの何がすごいって、アニメキャラで、アニメの中で頑張っている姿を見て勇気をもらって「明日も頑張ろう」って思えるくらいで、二次元と三次元の間なんて考えることなんて無くて、いちごちゃんがいるものとして色々と物事を考えるぐらいなのに、最終的に「あぁ、いちごちゃんは現実には居ないんだろうなぁ」ってなるぐらい、いちごちゃんが眩しすぎて直視できなくなることがある。

西尾維新大辞展に行ってきました

2017年8月9日から8月21日まで大阪で開催されていました、西尾維新大辞展に行ってきました(もう1ヶ月前か……)。
8月7日までは東京会場でも開催されていまして、ようやく大阪にも来てくれました(もう1ヶ月前ですが)。

exhibition.ni.siois.in


作家業15周年を記念した初の展覧会で、西尾維新さんのこれまでのシリーズ作品を始めとした、西尾維新さんの世界観を余すことなく紹介する展示でした。西尾維新さんが今回の展示会のために描き下ろしたコメントがところどころにあり、興味深く拝見させていただきました。


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展示は既に終わっており「ぜひ行ってみてください」とは言えませんが特に感じ入ったところをピックアップして書いてみようと思います。
なお展示内の写真を本記事では幾つか載せていますが、全て写真撮影OKの展示物のみになりますのでご安心ください(何が)。

意外と読んでいない作品が多いし、知らない作品も多い

私は西尾維新さんの作品が大好きである一方で、すべての作品を追いかけられているわけではありません……ということは当然知っていたのですが、会場で様々の作品を見ていると、それをより強く認識し直すことになりました。
最近2夜連続で放送された終物語を始めとする物語シリーズ、最近OVA化された戯言シリーズ、昨年年末を最後に刊行されていない待ち遠しい伝説シリーズ、12ヶ月連続で刊行された刀語シリーズ、その他にも世界シリーズ、最強シリーズ、忘却探偵シリーズ、そしてシリーズ化はされていない企画ものの作品や、原作を担当しためだかボックスなど内容も媒体も多種多様です。
早く読まなきゃと思ったと同時に、まだまだ西尾維新さんの作品をまっさらな気持ちで楽しめるんだなぁと、逆に前向きになったりもしました。

それほど多くの作品を読んでいない私ですが、お気に入りのシリーズを挙げるとする伝説シリーズです。

thun2.hatenablog.jp
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ネタバレになるのであまり詳しいことは言えませんが、ぶっ飛んだ思考(語弊があるかもしれませんが)を持っている主人公が織りなすスケールの大きさな痛快ストーリーが心地よすぎてたまりません。ハッピーエンドとは程遠い、絶望と笑いを感じながら読めるので、最高です。


伝説シリーズは現在進行形ということもありそれほど多くの展示物は無かったのですが、西尾維新さんの描き下ろしコメント部分にて伝説シリーズがところどころ出てきてくれて個人的にニヤニヤしていました。
特に一番小躍りしてしまったのは、「お話を書き続けるモチベーションとなるキャラ、キーパーソン」というコーナーで伝説シリーズの、とある個性的なキャラクターが1位に選ばれていたことでした。それだけで行ってよかったと思えるぐらいテンション上がりました。なんていうんですかね、物語シリーズのような化物みたいなシリーズに比べると比較的知名度が低い作品のお気に入りキャラクターが西尾維新さんの中で非常に大きな存在だったと知った時のこのカタルシス
何が言いたいかというと、皆さん伝説シリーズ読みましょうということです。

旅行好きな西尾維新さん

1日のスケジュールや、1ヶ月通して見たときの時間の使い方というようなコーナーがあったのですが、かなりの日数の割合が旅行に割かれていることに驚きを禁じえませんでした。

働いている人ほどよく遊んでいるとはよく言いますが、あの執筆スピードを知っているからこそ驚きました(なお、写真駄目な展示だったのと、パンフレットを買わなかったので詳細な部分は覚えておりません)。旅行先でも執筆はされるそうなのですが、とは言え、なんというか小並感ですが衝撃を受けました。長く作家業を続けられている一つの要因が旅行なのかなぁーと、スケジュールコーナーに長く居座って考えていました。

やっぱり大好きめだかボックス

一番好きなシリーズが伝説シリーズだと先程書きましたが、それと並ぶぐらいに好きな作品がめだかボックスです。


thun2.hatenablog.jp
thun2.hatenablog.jp



上記記事は主にアニメについて書いた過去記事ですが、もちろん原作である漫画も大好きです。皆何かしら何かを抱えて生きていて、思うところがあって、それをぶつけ合いながら(精神的にも物理的にも)殴り合う構図がたまらなく大好きな作品です。

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執筆環境とリアルタイムタイピング

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上記画像にあるように、西尾維新さん実際の執筆環境を再現したセットがあったのですが、なかなかの衝撃でした。ここで重要なのは、単に部屋が再現されているだけでなく、なんと動くのです。何が動くかというと、キーボードが動いて、画面上に原稿が書き進められていくのです。実際に西尾維新さんがこういうペースでこんな感じで作品を作っていくという形で勝手にキーボードが動いて、勝手に文字が書かれていくんです。
展示物としてこれは新しいと思ったと同時に、西尾維新さんの執筆スピードにはやはり驚かされました。単にタイピングの速度だけなら驚くところはありませんが、実際の原稿として、物語がほぼ無停止で次々と書かれていって、且つ殆どバックスペースが使われず書き直しがなく原稿用紙が埋まっていくさまは圧巻。もちろんある程度書き終わったら推敲されるわけなのですが、ほぼ書き直しが無かったのが衝撃でした。今回の展示で一位二位を争うくらいに衝撃を受けました。もちろん作品によってはそんなことは無いのだとは思うのですが、物語があのペースで書き綴られていくのが、何よりも衝撃でした、マジで。

終わりに

他にも色々書きたいことがあった気がするのですが、1ヶ月前なので忘れているところもあり、こんなところで終わりにしたいと思います。
こういうイベントごとに最近殆ど行けておらずスルーしようかと思っていたのですが、せっかく大阪でやっているのならと思い切って行って良かったと心の底から思いました。行ってよかったと感じるということは、まだまだ自分は大丈夫というところで、今後も西尾維新さんの作品を始め、多くの作品に触れていきたいと心から強く思いました。


最後にいくつか撮影した写真を載せて終わりにしたいと思います。

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等身大忍ちゃん。こんな子がぽつんと座ってたら阿良々木くんじゃなくても気になる。




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紫木一姫ちゃんは可愛い。




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やはりいーちゃん……じゃない、玖渚友は正義か

『イリヤの空、UFOの夏』 遅れていることに気づかなくなってたまるか

六月二十四日は、全世界的に、UFOの日だ。 おっくれってるぅ――――――――――――――――――っ!!

皆様ご存知かとは思いますが、2日前の6月24日は全世界的にUFOの日でした。

残念ながら1日遅れていました。おっくれってたー。



イリヤの空、UFOの夏』とは、2001年から2003年にかけて電撃文庫から刊行されたライトノベル。作者は秋山瑞人(あきやま みずひと)さん。約16年前の作品というのが信じられません。
私がこの本を手に取ったときは、既に全4巻が発売済みでした。
ライトノベルというものに初めて触れたのは高校生でしたが、こんなぶっ飛んだ作品が許されるんだライトノベルは! と思ったのが『撲殺天使ドクロちゃん』だったとしたら、ライトノベルでこんなすごい作品があるんだと強く感じたのがイリヤの空でした。私がライトノベルの道へ入るきっかけを作ってくれた作品であることは間違いありません。

そういえば私が高校生をしていた2003年頃はまだオタクの立場は悪かったため、イリヤの空など読んでいることがバレたら結構面倒くさい感じでした。なのでブックカバーをして絶対にバレないようにしていたことを覚えています。初めて買ったライトノベル用のブックカバーはオタバレをさけるためでした。今思うと息苦しい時代でした。

イリヤの空という作品は少なくとも私の中ではボーイミーツガールであると同時にSF作品です(そりゃそうだっていう話ですが)。伊里野加奈という不思議な少女×夏×SF(不思議)という組み合わせはもう心が疼いたものでした。SF要素は、特にタイトルにもなっているUFOが中心に進んでいくわけですが、主人公の浅羽直之(あさば なおゆき)が所属している園原電波新聞部の部長である水前寺 邦博(すいぜんじ くにひろ)の名言はあまりにも有名です。
「六月二十四日は、全世界的に、UFOの日だ」
ネットでは、6月24日になると皆がUFOの日だとつぶやくのが慣例となっているほどです。ネットってどこだよという感じではありますが。

とはいえ、月日が立つに連れ段々と6月24日に私は呟かなくなってしまっているなと感じてはいました。
だいたいその時に住み着いていた2chのスレッドで呟いていたように思いますが、twitterを始めてからはtwitterでも呟いていたように思います。
2010年にtwitterをはじめましたが、twilogを使って「全世界」で引っ掛けてみました。

2011年


日付が変わった直後に呟いている。無駄に気合が入っている。



これはアニメ『魔乳秘剣帖』なので関係がありませんがなんとなく。ちなみに結構デカすぎな部類に入る胸だったので、胸という意味では、私はそれほど惹かれませんでした。


2012年


2012年も投稿時間が0:24と日が変わった直後でまだやる気を感じる。


2013年


2013年も投稿時間が0:25と、結構律儀にツイートしている。


2014年


ついに遅れ始めました。1日遅れです。遅れているのは私です。


2015年
無し

2016年
無し


2017年



なんと、2015年と2016年はツイートすらしていなかったということが発覚しました。何がショックだったかというと、していなかったことに気づいていなかったということです。
2017年、つまり今年は、6月25日に以下の記事を見て思い出しました。

foxnumber6.hatenablog.com


はてなブックマークを開かずこの記事が目に入らなければ、きっと今年もツイートしていなかったのではと思うのです。



学生から社会人になったことはもちろん大きな変化ではありましたが、それからも様々の環境変化があり、これまで当たり前のように情熱や時間を捧げてきたものに対して同じように時間を割くことはできなくなってきました。そんな私は今でも自分のことをオタクであると思って「いたい」と思っていますが、今回のように「忘れる」ということを実感するたびに、ひどく落ち込みます。そして、まだ少しではあるものの割り切ることができるようになってきたことに対しても嫌悪感を感じます。感じられているうちはまだ華だと思っていて、多分本当の最後は、それすら感じなくなると思うのです。
だから、遅れていることに気づいたのなら次からは遅れないようにしようと強く思うのです。もちろん来年は忘れているかもしれませんが、でも、思い出したならちゃんと思いを馳せる時間を作り、思いの丈を吐き出せば良いのだと思っています。それがささやかな抵抗だし、自分がオタクであろうとする意志を残しているということを証明することにもなると思っているのです。

終わりに

もっともっとコンテンツを楽しんで生きたい。

アニメの円盤の布教をエンドユーザが強いられること、または『けものフレンズ』

wasasula.hatenablog.com


アニメのDVD・BDを買うべきなのかどうか、という議論は私もこれまで大なり小なり通ってきました。
ときにはファン目線、時には制作側の目線、というように見る軸を変えて少なからず考えてきました。

構造的な問題というのはアニメの業界に限らず存在するもので、既存のやり方を変えて変化を求めることの難しさはとても難しいものであるということはよく分かります。
そういった視点で物を考える癖は昔からありましたが、特に社会人になってからはより顕著になりました(保守的になってしまったとも言い換えられるのかもしれません)。

それで、上記記事の中で、よりファン目線に立って書かれている意見、例えば

僕がやるせない気持ちになったのは、「金があるのに、理屈をつけてコンテンツに金を落とさない」連中の存在だ。

金があるのに、理屈をつけてコンテンツに金を落とさない」連中について - うらがみらいぶらり

などは、別に間違っていないし、一ファンとしては理解はできます。

しかし、同時に思うことは、なぜ一ファンである私達が「みなさん、DVD・BDを買って制作側を助けよう!」と意識しなければならないのか、ということです。

私もこれまで沢山布教してきましたし、上記記事を書かれている方よりも良い意味で深刻に「製作者を助けるために買おう!」と言っていた側だと思います。
それは作品が好きだからだし、愛しているからなので、そこに対して全く嘘はありませんし。
しかし、一ファンがなぜ「みなさん、DVD・BDを買って制作側を助けよう!」と意識しなければならないのか、という意見は、これと同時に成立すると思っています。

上記記事の中で、ブログ主が特に憤りを感じていらっしゃるツイートに以下の様なものが挙げられていました。

これに対してブログ主は、以下のように意見を述べています。

そんなことして売上が壊滅したら作品自体が死ぬでしょう。不買はファンじゃなくてアンチの行いでしょう。どれだけ「業界の知識」を知ってるか知らないけど、ヘタなレジスタンスはフレンドリーファイアにしかならない。

金があるのに、理屈をつけてコンテンツに金を落とさない」連中について - うらがみらいぶらり


先程の私の話を持ち出すならば、どちらも正しい意見であって、これは並列して存在していい意見だと思います。


さて、果たしてアニメのパッケージモデルは現在どのような状況に置かれているのでしょうか。
こういうときは統計データなどを見るに限るということで、久々に以下のような資料を流し読みしました。
aja.gr.jp
jva-net.or.jp


無料で読める範囲で、且つ疲れているのでざっと読んだだけではありますが、アニメのパッケージの売上は右肩下がりではあるものの、思ったよりも下がっていないという印象を受けたのと、映像ソフト全体の売上の中で、アニメーションの割合は未だに高い率を誇っているのだなと言うことです。
ref. アニメ産業レポート2016サマリー(日本語版)1.1*1
ref. ビデオソフトの市場別、ジャンル別の売上金額の推移等*2

ただ上記資料からわかるのはあくまでビデオグラムとしての話であったり、アニメ産業の業界全体の話であったりするので、ブログ主が気にされているだろうと思われる、作品を本当に作っているクリエイターに対してどういう形でお金が流れ、それはDVD・BDの売上に依存しているのかどうか、は読み取れないことは注意が必要です。



ざっくり、もう少しアニメ制作会社の情報を探していたら、以下の情報がありました。
アニメ制作企業の経営実態調査 | 株式会社 帝国データバンク[TDB]
上記リンクから、アニメ制作企業の経営実態調査*3 を読むことができますが、その中でアニメ製作会社の状況をサマリーした箇所があるので引用させていただきたい。

アニメ制作企業 153 社のうち、年度別に収入高が判明した企業の 1 社あたり平均を過去 10 年間(2005 年度~2014 年度)で比較すると、2006 年度(14 億 5300 万円)をピークに減少基調で推移し、特に 2008 年度(11 億 8800 万円)は前年度比 14.7%の大幅減少となった。2006 年を境に作品数やアニメソフトの売り上げが大きく減少し、制作アニメのビデオ・DVD 販売に収益が依存する映像ビジネスが行き詰った「アニメバブルの崩壊」が要因の一つに挙げられる。


もう少し詳しく読みたい方は上記資料に目を通していただきたいですが、雑多に読んだ結論としては、アニメ製作会社がアニメソフトの売上に依拠していることは事実であるが、アニメソフトの売上が様々の要因から減少しているのは事実であり、売上が減少することによりコスト削減を強いられ、それがますます製作工程の多重下請構造を加速させ、現場のアニメーターなどの待遇の劣悪につながっている、ということだと思います(正確には、昨今の深夜アニメは殆どが製作委員会方式が取られているのでアニメソフトの売上がそのままアニメ製作会社に行くのではなく、製作委員会を通してアニメ製作会社に分配される、ですが)。

アニメの円盤を買うことがイコールアニメ業界を助けることなのだろうか

今回のように統計・調査情報を読んだり、またネットの業界の中の人の記事を読んだりすることで分かることは、単純に「アニメの円盤を買わないと業界が死ぬ!」と声高に叫んだところで、何かが変わることはないだろうということです。ミクロの視点で言えばアニメのパッケージソフトを購入することは意味がありますが、もう少し大きな視点、アニメ業界が抱える問題という視点から見ると、おそらく直接的な解決策には結びつかないと思います。もちろん、意味がないと言っているわけではありません。


www.janica.jp

例えば、上記リンクから読める『アニメーション制作者実態調査報告書2015』という資料がありますが、この調査では実際にアニメーション制作に関わる現場の方たちに対してかなり詳細な調査を行い、その結果を統計的に分析している他、生々しい声も報告しています。
特に、第7章の「アニメーション制作者の他声性」は、仕事のこと、アニメーション産業のこと、生活のこと等について、自由に回答してもらった内容がそのまま記載されていますが、非常に生々しい内容になっています。
引用をし始めるとキリがないので是非一度目を通していただきたいのですが、現場の人達は本当に疲弊している、というのが言葉からだけでも伝わってきます。


じゃあどうすればいいのかというところで、正直、今現在の私には対案がありません。というか、対案を考えられるほど時間的余裕がありません。
とはいえ、一昔前、私がまだ学生だったころと比較して、ネット上には統計情報から生の声まで多くの情報があり、時間をかければ問題点の整理はできると思います。
今の仕事をやめたらそんなこともやりたいなと思いますが、時間が有り余ってどうしようもなくて、でもアニメの業界構造が何か気に食わん、という人にはまずは今の実際の状況がどうなっているのか、をきちんと調べてみてほしいと思います。


そして誤解を招くと嫌なので伝えておくと、私はとてもアニメが好きで間違っても滅んでしまえとは思っていません。昔から変わらず今もずっとアニメのことを考えています。
ただまぁ、今の仕事をもしやめたら、次はアニメの業界構造をどうにかすることに時間をかけてみたいなと思ったりはします。

疲れたのでけものフレンズ

考えてたら疲れてきたので、ここからは突然けものフレンズの話に。

さて、巷で話題のけものフレンズ。今期。チェインクロニクルしか見ていないぐらいにはアニメから遠ざかってしまっているのですが、「たーのしー、おーいしー」みたいな謎のパワーワードがネット上を席巻しているのを見たら、流石にちょっと気になったので、Amazon プライム・ビデオで第1話「さばんなちほー」が無料で見られたので見てみました。

結果、フラッシュアニメを見ているような感覚に襲われました。また、知っている人は少ないと思いますがショートDEアニメ魂を見ているときのような感覚に襲われました。ちなみに私はショートDEアニメ魂を全話見て全て感想を書いていたりします(熱い宣伝)*4
もう10年ぐらい前の話だとか信じられません。


さて、けものフレンズに話を戻しますと、まだ1話しか見ていないですがめっちゃ面白いですね。一番感銘をうけたのは、サーバルが地図の取り出し方を分からなかったシーンでした。
見た目は擬人化されている(もしくはそういう生き物なのかもしれませんが)のに、中身はサーバルである……というのを、これでもかと刻み込まれてしまったのです。

このシーンを見てしまった人はみんな感じたと思うのですが、少なくともサーバルは、すごく原始的な欲求というのでしょうか、それを行動に映して、そして口に出しているだけな気がするんです。のどが渇いたら水を飲むし、夜になっても寝ないのは夜行性だからだし、体温調節のためにハアハアするし、爪も研ぐ。
きっとこの、原始的な欲求がストレートに表現されているさまに心打たれたのだと思っています。


ちなみに、サーバルはとても肯定的に物事を考えると言われているようですが、もしかばんが人間だったとして、その時でもサーバルが肯定的でいられるかどうかは今から楽しみにしています。
サーバルは、どうやら出会うものに対してフレンズである前提で接しているようですが、フレンズ以外だとわかった瞬間に排他的になるんじゃないかと(あまり褒められたものではありませんが)ワクワクしてしまいます。人間のフレンズ、ってあるんですかね。
後は、明らかに捕食対象となりうるフレンズが出てきたら、その場で食べてしまったりしないかなーとワクワクしています。以下のページによると、ウサギやネズミ、ハイラックス、鳥などを捕食するそうですが、まだそういった小動物が出てきていないと思うので、楽しみです。
www.pz-garden.stardust31.com


終わりに

特にここ数週間忙しすぎてストレスがマッハでしたが、ブログを書いたら大分とスッキリしました。
ブログを書いたらストレスを解消できるフレンズで良かったです。


関連するかもしれない記事(過去記事を検索してたら色々出てきたので):
thun2.hatenablog.jp
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「私はアニメを今でも大好きですという理由」

私はアニメを今でも大好きです。現在形? いや、強調系です。
そう、何かきっかけがあったというわけではなく、ごく当たり前に生活していただけなのに、「私はアニメを今でも大好きです」と言うようになりました。

それは好きなアニメが映画化決定した時のことでした。
「うわぁ、やっぱりきたかぁ。喜ばしいことだ。公開初日に行きたいのは山々だけど、仕事で無理かな」


公開当日。


「神だったwww」「これぞまさに正当系劇場版と言える」など絶賛の嵐だった。仕事場のトイレの個室でSNSを流し見した。

次の休みに見に行こうと思っていたが、しんどすぎて寝てた。そもそも、意欲が本当にあれば、前の日までに指定席予約しているはずだ。


最悪だねこりゃ。

自分が好きなものに対して、理由をつけないと自分を保てなくなっている。仕事、疲れ、眠い、環境の変化……アニメは楽しい、アニメは面白い……アニメは……本当に面白い……んだよね……?


時々、ふっとテレビつけた時にやってたアニメ見ても
「おっもしろー。やっぱアニメ面白いなぁ。活力をもらえる」
もっとアニメに対して時間かけないとなぁなどと意識的に思うようになり
「新作アニメ始まったけど、見続けるのは難しいそうだしなぁ」
アニメを積極的にチェックすることはなくなり、でも心の中では、アニメは面白いものだ、という強い気持ちだけが残った。

自分にとって好きは、「改めて確認するもの」ではなかった。アニメは、「私はアニメを今でも大好きです」と言う対象ではない。作品が好きだ、キャラが好きだ、ストーリーが好きだと、オタクらしく語ればいい、そういうものだった。

好きだという気持ちがあれば、心を強く保てると思っていたが、そうでもなかった。やはり、一度離れたものはそう簡単に戻ってこなかった。いや、戻すことに対してとてつもない力がいるのだ。だから、戻しにくい、ひどく戻しにくい。


誰かに聞いてほしいわけではない。自分に対して、もう一度言おう。それでも私はアニメが大好きだ。

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というわけで、絵は無理なので文章で創作してみた。
「私が大好きなアニメを見れなくなった理由」まとめ - Togetterまとめ



メッセージ性があるものって、キャラクターに代弁させることが、本当にキャラクターが思っていることなのかが分かるかどうかに掛かっているなと思います。件の創作ストーリーは、最後の2コマ、「一人でも多くの人に知って欲しい」から始まる部分で、自分の内なる気持ちを、全体の気持ちとして代弁することで自分を保とうとしている。
本来は、自分がそう思っただけであって、全体に適応されるなんてことはないし、あったとしても、この漫画のように強く言い切れない。なので、独りよがりに見える。にも関わらず、これ許されるのは創作だからで、このキャラクターはそういうキャラクターだということなんです。
ただ私は、ちょっと独りよがりに見えたんですね。ちょっと作者の思いが強く出すぎたのではないかなと。この辺が、作りて側からすると難しいのだなぁと思う。一歩間違うと、作者の人格批判みたいなものにつながりかねない。


好きなものを否定されると、自分が否定されたような気になるのは、これはもう冗談でもなく事実だと私は思います。極論、作品が傷つけられると自分が傷つけられたような気になる、ということだ。そして誰もが傷つけられて立ち直れるとは限らない……というのがこの漫画の本質なのではないかと私は思っています。




この漫画を読んでいたら、以前フォロワーさんが書かれた漫画を思い出したので、ぜひ紹介しておきたい。言葉は愛だ!
だれも幸せにならないアニメの話 | 磯貝祐司 [pixiv] http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=38020243

コンテンツを楽しむことに躊躇してはいけない

お金的にも、精神的にも!


コンテンツは水物だ。楽しめるその時に、全力で楽しまないと損。
そんなことは分かっているつもりだったけれども、忙しさとかそういうのを言い訳にしていた気がする。「いやー、忙しいからさ、なかなかできないんだよねー」と。

ただ、やっぱり、コンテンツはすごい力を持っている。すごいものを見たら、その後、ずっとボーッとしてしまうくらいコンテンツの力はすごい、何をするにも手がつかず、お酒を飲みながら無心に漫画を読んでしまうぐらい、コンテンツの力はすごい、力強い。

今日は、ぷよぷよテトリスというゲームの、有志が開催している大会の上級者同士の対戦を、Twitchで見ていましたが、内容が熱くて、興奮して、最後まで見て、そしてほわーとなっていました。すごいな、と。コンテンツの力はすごいな、と。ぷよぷよはやっぱり面白いなと思いましたし、ぷよぷよというものに対してここまで上手くなれるんだという尊敬の念が改めて出てきたし、何より熱い試合で、こんな面白い試合を無料で見れるなんてすごい時代になったなぁと。

ずっとPS4の購入をなぜか躊躇していましたが、やっぱり買うことにしました。今買わなきゃだめだなぁ、楽しめる時に買わなきゃダメだなぁ、と。自分はゲームはあまりやらないのですが、ハードをなんだかんだ買ってたりします。買うときはは大体、好きなゲーム・やりたいゲームが出てくる時です。思えば、PS2は、ぷよぷよフィーバーがやりたくて買ったのでした。PS3は、true tearsのBD BOX発売に合わせて、BD再生機として買いました。PS VITAは、絶対絶望少女を買うために。そして今、PS4は、ぷよぷよテトリスをやりたくて。

買わないで後悔するより、買ってコンテンツを楽しむことが何より素晴らしいことなんだろうなと改めて気付きました。ありがとうぷよぷよ