隠れてていいよ

主にアニメや漫画の感想を書いています

隠れてていいよベスト記事集 2024年 2023年 2022年 2021年 2020年

2026年はどんな年にしたいのか

気づけば2026年となりました。今年もよろしくお願いいたします。

さて例年どおり、2025年の抱負振り返りと2026年の抱負を考えたいと思います。
まずは2025年の抱負の振り返りから。


2025年の抱負

  • ながらスマホ、ながらSNSしない
  • 漫画の記事をたくさん書く
  • 読書の習慣を思い出す

ながらスマホ、ながらSNSしない

少し前進したと思いますし、とても効果があったと思いました。一方でまだまだ足りないと感じます。
この1年で一番ショックだったことは、視力が落ちたことでした。

これまで散々パソコンに付き合ってきたツケがついに来たかと思いました。
が、冷静に考えると原因はそれだけじゃなくて、きっとスマホの見すぎも大きな要因なのではと思います。

視力が下がったことがショックすぎて、色々情報を調べ、以下の書籍にていろんな過去の常識がアップデートされていることを知りました。
加えて、スマホを見ることによるデメリットを改めて理解をした気になりました。

スマホに慣れすぎて気づいていなかったのですが、スマホを使うときって画面との距離がめっちゃ近いんですよね。
この近さが結構目に負担をかけると。

スマホを使う時間を減らすことと、使う場合でも距離を意識することを徹底したいと思うようになりました。

漫画の記事をたくさん書く

2025年は15本の記事を書き、そのうち漫画の記事は以下の4本でした。
たくさんではない、という自己評価です。母数がそもそも少ないという問題も、別にあります。

ただ、1つ1つの記事自体には熱量をかけているので、そこは褒めてあげたいところです。
漫画は相変わらず、記事にしていないものも含めてちょこちょこ読んでおります。

漫画はなんというか、点滴というか血液というか、無いと死ぬ気もするな、という感じ。

thun2.hatenablog.jp
thun2.hatenablog.jp
thun2.hatenablog.jp
thun2.hatenablog.jp

読書の習慣を思い出す

これは、だめだったと思います。もっと読めたはず。
漫画以外で、どんな本を読んだかと言われるとすぐに出てこないぐらいです。
積読はそこそこあるのですが。

なんというか、活字を読まないことで自分の頭の中が、ある程度偏ったインプットになっているのです。
これが本当に良くない。年齢を重ねるにつれて、徐々にその毒にやられてきている気がします。思考の老化というか。

2026年の抱負


悲しいかな、結局2025年にできなかったことが多いために、2025年の裏返しみたいになるのが悲しい。
とはいえ、2026年頑張るしか無い。

どちらも老化というか、衰えに対する対策のようで悲しい。
もっと挑戦的な抱負がいいけど、まず準備が必要、何事にも。

デジタルデトックスは、完全デジタルデトックスではなく積極的がポイント。
今少しずつできていると思うので、徐々に徐々にやっていきます。

まずはスマホを見ることよりも睡眠時間の大切さをこれまで以上に噛み締めたい。

そして活字インプット。これもそう。自分の中での発想が、アップデートされないことが怖い。
これだけは本当に、自分が自分でなくなっていくような感覚があるので、常に勉強を忘れないようにしたい。
活字に関わらずなのですが、活字は強制的に別世界に行けるので。やはり本はいい。

終わりに

だんだんと疲れやすくなってきていて、抗うためにこれまで以上に筋トレも頑張っています。
おかげさまで体力はまだ衰えきっていないと感じます。

これまで以上に休息を大事に、そして健康を大事にしたいです。
体は資本という言葉が好きなんですが、改めてこの言葉に感謝しそして頑張りたい。

2025年の過ごし方または抱負

仕事始めが迫っていて胃が痛いのですが、2025年の抱負を考えながら述べたいと思います。

2025年の抱負

  • ながらスマホ、ながらSNSしない
  • 漫画の記事をたくさん書く
  • 読書の習慣を思い出す

ながらスマホ、ながらSNSしない

なんとなしにスマホを触ってしまう癖があります。
また、パソコンで作業しているときに無意識にSNSなどを見てしまうことが多いです。
この癖が2024年は顕著で、そんな自分に自分でイライラしていました。

問題の本質の一つは、集中ができていないこと、

趣味で将棋ウォーズを指していますが将棋を指しながら他のことをしたくなることが2024年は多かったです。
今振り返っても、あまりにも酷すぎます。
将棋は集中して指さないとよい将棋が指せないことは頭では分かっているのに、その理性を無視してまで別のことをしてしまうのです。


問題の本質のもう一つは、わずかの時間も無駄にしたくない気持ちが誤った行動に繋がっていることです。

常になにか情報を得ていないと時間を無駄にしているような気持ちになるため、家ではスマホを手放せません。
お風呂に行くときもトイレに行くときも、少しでも時間があれば情報を得ようとスマホを開いてしまいます。

時間を無駄にしたくない気持ちは間違っていないと思うのですが、スマホを開いてやっていることが、はてブを見たりSNSを見たりしているだけで生産性があるとはとても言えないことが問題です。

そして繰り返しになりますが、頭ではやめたほうがいいと分かっているのに、その理性を無視してまでやってしまうことが問題です。

抱負達成のために、以下のような行動を心がけたいと考えています。

  • 1つのことに集中したほうがよい作業中は、ながら作業をしないこと
  • 時間を無駄にしたくない気持ちでスマホを触るなら、生産性がないと自覚していることはやらないこと


後者は、SNSは絶対に触れないことと、これまで触れたことのないコンテンツに触れたりブログのネタを考えたりしてみようかと思っています。
SNSは情報が湯水のように溢れており情報を摂取したつもりになってしまうことが問題なので、何よりまずはSNSからなるべく遠ざかりたいと思います。

少しでも創作やブログなどアウトプットに対してプラスになることに、時間を費やそうと思います。

漫画の記事をたくさん書く

新しい漫画も古い漫画も含めて、ブログで紹介したいものがたくさんあります。
2024年は気持ちだけ先行して、記事を全然書けませんでした。

何かを紹介するときには手を抜けないたちですが、時間をかけて遅れるくらいなら荒削りでもどんどん公開していこうと思います。
この気持ちの切り替えをやっていくことは、抱負の裏テーマかもしれません。


昔から漫画って無限に存在したような気がしましたが、新作公開される媒体がリアル雑誌以外にも広がったことで無限大の無限大、ぐらいの感覚になりました。
全ての漫画を読むことは相当に難しい世の中になってきましたが、それでも琴線に触れる漫画はたくさんあって、そんな漫画に出会ったときの感動は計り知れません。

漫画を紹介することは昔から本当に好きだったのですが、その割にはブログ記事が少ないと感じていたので、原点に立ち戻って2025年は漫画記事を増やしていきたいと考えています。

読書の習慣を思い出す

昨年あまりにも活字を読んでいなかったことにショックを受けたため、抱負にします。
2024年は仕事に忙殺されており、仕事以外のインプットが殆どできておらず自分の脳が退化した感覚がありました。

活字を読むと想像力や創作意欲が刺激されることは間違いなく、こんなに素晴らしいものはないと思っているのに2024年は殆ど読書していないのです。
言い訳を考えるのはいくらでも可能なのですが、今は2025年、やるしかありません。

抱負は決意表明でもあります。達成されることに越したことはないのですが、決意することが重要。頑張ります。

終わりに

体調を崩さない、運動する……そういったメンタルやフィジカル的な目標はもちろんあるのですが、プライベートな抱負ということで割愛です。
何より健康第一で過ごしたいことは事実で、抱負というよりは切実な思いです。


みなさま、2025年もストレスをうまく解消し(溜めないようにするのは無理なので)、ときには胃薬に頼りつつも健康第一に生きていきましょう。生きれば勝ちです。

2024年は全然コンテンツに触れてこなかった話と、その原因について

2024年は読書していたつもりが、ほぼ全くしていなかったことが分かりました。
年末に『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編12.5』を読みましたが、それ以外で「今年はこれを読んだな~」という本がないことに気づきました。


アニメを見たかというと、2024年に放送されたアニメだと『Re:ゼロから始める異世界生活 3rd season』のみ見ました。1本です。
旧作だと、ニコニコ支店というサービスを使って『偽物語』を見返しました。

映画を見たかというと、2024年に公開された劇場作品は1本も見た記憶がありません。
コナンは毎年新作は見に行っていましたが、今年は行かなかったようです。


漫画を読んだかというと、漫画はそれなりに読みました。
週刊連載はハンターハンターが連載再開しましたので、その間は電子版のジャンプを久々に購読していました。
その他、ピッコマを始めとしたアプリや各出版社のWEB媒体系、またそれらから知ったものをKindleで買って読み返したり。

今年一番触れたコンテンツは間違いなく漫画でした。今年も漫画に救われたような気がしました。

コンテンツに触れられない理由

何度も同じようなことをこのブログでも書いていますが、あらためて2024年を振り返ってみるとその原因は一つだと思いました。
継続して没頭する力です。強く没頭する力がなくなってきたのだと。

例えば、ふと新しい小説や漫画を読もうと思ったときに、物理的にもメンタル的にも手が重くなることがありました。
その時の感情を思い出してみると、これを読み始めたときに楽しく時間を過ごせるだろうか、そういう感情になっていました。


昔の自分は、なにはともあれ触れてみることが信条だったはずなのに、その正反対なことをしている。
情熱的に1つの作品に没頭して、面白かったつまらなかったという気持ちになろうという気概・気骨がどうみても減っている。

アウトプットする習慣が昔よりも減っていることは要因の一つだと思います。


好きだと感じた作品を誰かに紹介したりオススメしたりするのが好きで、そのモチベーションでずっとやってきました。
最高に楽しいものに触れたら今でも無意識に記事を書いていることも多いです。

2024年のブログ記事を振り返るとプロセカの記事をたくさん書いていましたが、純粋にプロセカが面白すぎて何としても皆に広めたい、この気持ちを伝えたいという気持ちから筆を執っていました。

プロセカのストーリーを読んで、咀嚼して考察して、文字にして、X用の告知用の画像を作ったりして……という作業は時間も手間もかかるし大変でしたがとても面白くて、2024年上半期は間違いなくプロセカに没頭していました。


ですので没頭する力そのものがなくなったわけではないのですが、仕事の忙しさとのマルチタスクができなくなったように思います。
仕事が忙しいと、もう何もインプットができず休みたいという気持ちになる……そういうことなんだと思いました。


でもここまで考えて思ったのは、やっぱりこれって鈍感力というか、仕事をプライベートに持ち込まないというその基本ができていないがゆえなのではと。
30代前半は特に長時間労働しており、まだ若いのだから仕事に忙殺されてもいいと思っていたのだけれども、年齢が上がるにつれて徐々にワークライフバランスを気にするようになって、でも体力だけは落ち始めているものだから、結局仕事に忙殺されることから抜け出せずしかしプライベートは充実せずというそういうことなのかもしれないと思いました。

ではどうするのか

今こうやってブログを書いているように、まずテンポを作らないといけない、取り戻さないといけないと思いました。

いきなりは難しくても、まず1本2本とブログを書いてアウトプットすることでペースを作っていって、徐々にアウトプットするペースを思い出して、インプットへの活力につなげていくのがよいと思いました。

転職しても結局仕事に悩まされているのは草も生えませんが、それはもうそんなもんだと受け入れて、できることを少しずつやっていくしかないと思います。
今年はこんな戯言なブログも増えるかもしれませんが、よろしくお願いします。

2024年 振り返り

ここ数年はブログに毎年の抱負を書くようにしているおかげで、1年を振り返ることが以前よりも容易にできています。
2025年の抱負は新年明けてからとしまして、まずは昨年の抱負を振り返りたいと思います。

  • 鈍感力を身につける
  • 怪我をしない
  • 判断を先延ばしにしない
明日から仕事始め―2024年に向けての思い - 隠れてていいよ

2024年に掲げた抱負の振り返り

鈍感力を身につける

「鈍感力」というキーワードはここ最近書いていた戯言のテーマみたいなもので、まさか2024年の抱負になっていたとは思いもよりませんでした。
このキーワードはずっと意識していたものですから、抱負そのものになっていたことに対しての驚きというよりは、2024年に最初に掲げたことを2024年の最後まで考え続けていたんだなという感慨深さといいますか、救いのなさといいますか。

身につけようと1年間意識的にも無意識的にも努力しました。
ただし最近のブログでも書きましたが、鈍感力というのは身につけるものではなく付き合っていくものだという考え方の変化がありました。

すでにできている人にとってはスキルなのかもしれませんが、私にとっては経験によって育まれる地道な力のように思えてなりません。

怪我をしない

主にフィジカル的な怪我を想定して抱負を書いていましたが、振り返ってみると去年のように筋トレ中に大怪我をするようなことはありませんでした。
ただし、年末にかけて気管支炎とインフルエンザに罹患してしまい病気にはなりました。

怪我と病気は違うものですが、健康ではなかったなと改めて思いました。
怪我をしないという抱負は達成できたのかもしれませんが、ストレスとうまく付き合えていればもしかしたら気管支炎になっていなかったかもしれませんし、インフルエンザの予防接種は絶対に打っておくべきでした(コロナ禍の影響でインフルエンザの予防接種に対する意識が薄れていたと思います)。

判断を先延ばしにしない

3割位は達成できたような気はします。でも、鈍感力と同じで私は気持ちが弱いようで判断を先延ばしにしがちです。

この子は付き合っていくことがなかなか難しいです。
「判断を先延ばしにしない」という抱負自体が判断を先延ばしにしているような気さえしてくるのです。

判断を先延ばしにしたほうがメリットがあったことは、あまりありません。にも関わらず先延ばしにしてしまう。
本気で変えるつもりがないものは抱負にしてはいけないのではないか、という逃げをうちたくなるほどです。

全体を通して振り返って

なんとも、心が弱い。その一言に尽きる1年だった気がします。
「心が弱い」という言葉を使っている時点でもう弱い。口に出さないと負けそうだから文字に起こしている体たらく。


心は鍛えられない……自分にとって気づけたことはこの1年での良かったことかもしれません。
達観していたつもりでした、心は鍛えられると強く思っていましたし目指そうと思っていました。

でも、やっぱりだめなのかもしれません。そういうものだと割り切って、付き合っていく方向にシフトしていくべきだと人生40年も近づこうかという今、ようやく腑に落ちてきた気がしました。

人生で腑に落ちるっていうのは本当に大事だと思っていて、腑に落ちないと行動に移せないですし、行動を起こさないと何も起こらない。
逆説的には、色々考えながらやってみないと血肉にならないというか。


そんな事を考えながら最近読み返していたファブルのセリフを思い返していました。

「経験は思考から生まれ――思考は行動から生まれる――ってね! とにかく行動よ!」

漫画『ザ・ファブル The second contact』1巻pp173より引用

新しいことかは置いておいて、とにかく動かないと何も始まらないというのがまさにこの1年間だったと思いました。
仕事はしんどかったですが、自分からやりたいと手を上げた仕事だったので後悔……はなくはありませんがやり遂げようという強い意思を持ってやりました。


何が言いたいかというと、1年間よく頑張ったと自分を褒めてあげたいです。
願わくば、もっとうまくストレス解消ができたらよかったなと。


満足できた1年ではありませんでしたが、メンタル的に破壊されなかっただけでも御の字です。


最後に

こんな場末のブログを読んでいただきまして、本当にありがとうございました。
来年もブログは継続したいと考えておりますので、戯言が多くなる可能性もありますが、懲りずにお付き合いいただけたら幸いです。
皆様2024年、お疲れ様でした。

季節の変わり目とか

季節の変わり目で体調を崩すとはよくいったものの、実際は9割ストレスが原因である……という現象に名前があるのかどうか。
見栄を張りたい訳ではないが、体調を崩した原因がストレスであるということを人に伝えることは全然肩の荷が下りないことが多いからなのかもしれません。
それが、会社の人であればあるほど。

人間というのは、それなりに簡単に、気持ちでやられてしまうということ。
前職で、仕事のストレスで心を病んだことがあったときに強く感じたことは、まさにそれだったと記憶しています。

人それぞれいろんなことに悩みながら生きているわけじゃないですか。
人間関係、お金、家族、仕事……とりあえずいろんなことが周りにはあって、その環境の中で生きていく必要があるわけじゃないですか。

だから、人それぞれ抱えている問題の種類も違えば原因も違えば解決策も違うわけじゃないですか。
結局どこかで、解決できるのは自分だけだというエゴがあるのかもしれません。


この2ヶ月ぐらいは、久々に体調不良に悩まされていました。現在進行系ですが。
結果としての症状は本当に体調不良でしたが、その原因は、間違いなく仕事のストレスにあったと思います。


鈍感力を身につけよ、と何度も繰り返し頭では考えているし行動に移そうとしているのに、性格からして無理なのではないかと改めて思うようになりました。
鈍感力って、身につけるものではなくて付き合っていくものだと思っていて特効薬のようなものはないから地道に付き合っていくしかないのかなと思っていて。

鈍感「力」なので、鈍感であるわけではなくて、感じた痛みを感じにくく感じよう、という矛盾したような言葉なんですよね。
鈍感力は身につけるものではなく、鈍感であれるように努力をしていくこと、に他ならないのではないかと。


しかし、鈍感力は急に上がらないので、自分の鈍感レベルを超えるストレスがやってきたらどんどん受け止めてしまうわけです。
敏感ではないが鈍感ではないから、結局外界からの刺激をそのまま受け取って反応をそれなりに起こしてしまう。

性格とか環境とかその人の置かれている状況や立場やこれまでの生き方……それらによって、どうやって体が反応すればよいのかが刻み込まれているような。
何でも真面目にこなしてしまう人もいるし、適当に受け流せる人もいるし、あえて近づかないようにする人もいるし、まぁ人それぞれじゃないですか。


自分というものは自分が一番わかっていないとかよく言うじゃないですか。
それを否定するつもりは全く無くて、多分それは事実なんですけれども、一方で自分のことは自分が一番わかっているとも思うわけです。

ある一定のレベルまで自分の限界を知ったことがあると、「それなりには」自分のことは見えてくる。
そして見えてくるからこそ、余計に絶望するというか、これは鈍感力なんて言葉だけで簡単に表せられるようなものじゃないと思うわけじゃないですか。


来週1週間働けば年内は仕事納めになるので、年明けからの自分を楽させるために月曜日から頑張らないといけないわけです。
年末年始は一応休めるので、そこでしっかり休養ができるように今頑張らないければいけない……という思考に陥っている時点で駄目なのだろうとこのブログを書きながら結論に至ったので、なるようになるしかない、という鈍感な力を持って頑張っていきたい所存です。


心に不器用で、苦しみながらも少しでも前に進もうとしている女の子をイメージした画像(AI生成)

最近のこと

昨日久々にブログを書いていたのですが、下書き保存する前にページを閉じてしまって消えてしまいました。
戯言な内容で、数千文字以上の感想とかではなかったのでよかったですが、それでも書こうと思った気持ちが潰された感じがして悲しくなりました。

とは言いつつ、なんとなく文章を書きたくなったので、改めて今日も書いてみます。内容は昨日と全然違います。


最後にブログを書いたのが2024-05-25だそうで、約5ヶ月くらい間が空いていたようです。
その間、何をしていたのかというと、仕事に忙殺されていました。

休みの日にブログを書く気力がわかず、新しいコンテンツを補給する気持ちにならず、かなり漫然に過ごしていたように思います。
ブルアカもプロセカもストーリーを読むには気力がいりますので、起動すらできておりませんでした。

唯一コンテンツとして補給していたのは、ピッコマを始めとする漫画アプリでした。特に異世界系(転生有無問わず)を貪るように読みまくり、課金もめっちゃしました。

ただ、内容をじっくりと読んでいたというよりは、流れを追うだけの感じで、コマ割りをそのままなぞっていくような、ストーリーの展開を紙芝居のようにめくっていくような読み方をたくさんしていました。健全ではないなと思いつつも、そういう栄養補給のやり方がそのタイミングでは適していたので、とにかくたくさん読みました。


フィジカル的な体力が減ってきたかというと、もちろん年齢とともに感じるところはあるものの週3ぐらいのペースで筋トレは続けておりまして、維持はできてそうな気持ちはあります。
ただ、メンタル的な体力は以前よりも回復が遅くなってきたように思いますし、メンタル体力を減らすものにあたったときに減る分量が増えた気がします。



最近の自分の中の問題意識というかテーマは、鈍感力です。定義は知りませんが、気にしすぎないこと、が自分の中での翻訳かなと思います。

一番は、仕事とプライベートを結びつけてしまうこと。仕事がうまくいかないとプライベートでのストレスが溜まってしまう。
仕事の失敗をプライベートにそのままスライドさせてしまう、そういうイメージです。

もはや10年以上社会人を続けても改善されなかったので、これは性格なんだと思います。
なので、改善させるというよりはどう付き合うかにシフトするように意識しています。

力技解決法として、とにかく平日は仕事に打ち込む方法があります。
これは、平日にやるだけのことをやったのであれば、仕事が間に合わなくても仕方がないだろうと達観しようというものです。

中途半端にメリハリを付けたりすると「あぁ、もうちょっとやっておけばよかったな」となりやすいのですが、死ぬ気で働くと「ここまでやったのだからもうこれ以上は体が壊れちゃうので無理です」と開き直れる理論です。

正直オススメできない方法ではありますが、一方でこれが自分の最近の精神安定に寄与しているのですから笑えません。
前職に比べれば労働時間は全然短いですが、とはいえ前職と全く同じ仕事をしておりませんので経験で仕事するのではなく常に毎日新しいことをやっているような感覚が続いていることから、労働時間が短くても精神的ストレスは半端ないです。


少なくとも年内はずっとこんな感じが続きそうなので、なんとかメンタルの安定をうまくさせないと長続きしません。
よって、もうちょっとブログの更新頻度を上げてアウトプットすることでストレス解消が図れないか考えています。


ここ最近、インプットされるのは仕事のことでアウトプットするのも仕事のことで、仕事による循環しかしておらず、プライベートにおける何かがずっと頭の中に溜まっている感覚があります。
もやもやはしているものの体力的にアウトプットできないために、ぐるぐるとしている感じ。

これを打破するには強制的にでもアウトプットする必要があり、その手段が自分の中ではブログが一番手軽であるということです。


と、ここまで書いていて、こういう思考もいつも通りマイナス思考だなと思うわけですが、こういう生きづらい性格をしているのはもう性分なので、付き合っていくしかありません。
頑張ります。

ネガティブな思考に陥った女の子をイメージした画像(AI生成)

たとえば『さよなら妖精』を読みたいという気持ちがずっとあること

さよなら妖精』という米澤穂信さんの小説がある。
米澤穂信さんといえば、自分の中では古典部シリーズから知った人で、TVアニメ「氷菓」が2012年に放送されていたときにアニメから原作者を知った、そのような出会い方だった。

氷菓の原作である古典部シリーズを当時読了し、面白すぎると感じ、そのタイミングで同作者の『さよなら妖精』という小説を購入した。
購入のきっかけは正確には覚えていないが、米澤穂信さんの他の作品を読んでみたいと思ったときにネットで調べていたら、「この作品は読んでおいたほうがいい!」みたいな触れ込みを見たからだと思う。

しかし、2012年に購入して以来、いまだに読めていない。
2012年というと今から12年前。もはや一回りしているにも関わらず、いまだに1ページも読めていない。段ボールのどこかに、捨てられず積んであると思われる。

とある土曜日(つまり今日であるが)、一人で夕方から酒を飲んで、当分読まないだろう小説『戦闘員、派遣します!』を買って、しめにラーメンを食べた帰り道で突如思い出してブログを書きたくなるぐらいには「読んでいないこと」をずっと覚えている作品である。



本作品は第三者から「読むのはマスト」と言われたことからも記憶に強く残っている。


当時、シンシアニメというおもしろいアニメ評論サークル・論壇があった。非常に個性的なサークルでひょんなことから、寄稿させていただいたことがあった。
おそらく最後に寄稿させていただいたのは以下だったとように思う。
sincere-anime.hatenadiary.org


で、いつだったかは思い出せないけれども打ち上げというか飲み会というか、とりあえずオフ会に誘われたことがあり、たしか大阪だったように思うけれども参加した記憶がある。
いつ開催したとかは全く覚えていないけれど店の感じはなんとなく覚えていて、地下1階にある居酒屋のようなところで、日本酒を豊富に扱っている店だった。

確か、シンシアニメによく寄稿される方々がそれなりに集まっていた記憶があって、そのときに氷菓の話になって「氷菓の原作を読んだんですけど、めっちゃおもしろいですね」と自分から話題を振ったような覚えがある。
その時に、どなただったか名前を失念してしまったが「米澤穂信さんはマジですごい。氷菓を読んだのだったら、『さよなら妖精』は絶対に読んだほうがいい」と言われた。

誰にいつ言われたかも定かではないのに、そう言われたことだけは今でも鮮明に覚えていて、今でもその言葉が胸に刻まれていて「いつか読もう」とひたすらに覚え続けていることにつながっている。


オチもなんにもないのだけれども、道すがら「最近は小説全然読めてないな」と思ったときに、ふと思い出してしまったのである。
しかし、このように作品に対しての思いというのは人から言われたことが結構印象に残っていることがある。
シンシアニメさんに関わらず、当時ネットを通して出会った方々とのオフ会で話した作品語りは、印象に残っているものが今でも結構ある。


自分の想いを人に褒めていただいたこともあれば、絶対に自分では思いつかないような切り口でアニメを語る人もたくさんいた。
そういった一つ一つの思いが、今の自分の血肉になっていると感じる。

「ノンブレス・オブリージュ」 良すぎる

www.youtube.com



この曲はめちゃくちゃ良い曲なんです。
最近仕事がうまくいかなくて、久々に毎日胃が痛い状況なのですが、この曲を聞くと少し救われます。

さんはい 「この世には息もできない人が沢山いるんですよ」
さんはい 「この世には息もできない人が沢山いるんですよ」


この部分の歌詞は天才的すぎると思う。
さんはい! って歌わせるのもいいし、「この世には息もできない人が沢山いるんですよ」っていうストレートな、しかしほとんどの人には理解されないのではと思われる歌詞が本当に刺さる。

生きたいが死ねと言われ 死にたいが生きろと言われ 
生きたいが死ねと言われ 死にたいが生きろと言われ


このあたりも、最近の精神状態だとすっと入ってくるんですよね。
仕事の辛さは仕事でしか癒せないというのは至言だなぁと思う限りで。

結局、仕事のしんどさは仕事をすることでしか解決できないというのは、辛いところでもあり、わかりやすいところでもある。
でも、賛同しきれないところが、10年働いても仕事するのが苦手なんだなと思うところ。


ノンブレス・オブリージュの全体的な歌の解釈はわかりませんが、ただ、お金もらっている以上は働かないといけないというのはノンブレスオブリージュっぽいよなぁと思うわけです。
歌詞に共感しつつも、タイトルでやられてしまうという二重の意味で良すぎる曲。死にたくもなるけれども。

インプットとアウトプットのバランス

最近プロセカのキーストーリーを読んでは、感想記事を上げています。
それはとても楽しいことで、今の自分の生きる意味の一つといっても過言ではないのですが、少しアウトプットに傾倒しすぎているとも感じています。

定期的にやってくる哲学的な問いなのですが、果たしてアウトプットしたいからインプットしているのか、インプットしたからアウトプットしたいのか、なのです。

まず1つに、インプットしたものをアウトプットしたいは事実なのです。
私はコンテンツに触れたときの初めての気持ちをとても大事にしたいと思っています。初見感想、それは唯一無二の貴重なもので、これを書き残しておくことは何ものにも代え難いと思っています。

一方、この思想が強くなりすぎると、どんどん先を読み進めたいのに、アウトプットしないと先に進めない病にかかってしまいます。

心の奥底では「早く続きを、一刻も早く、寝る間も惜しんで読みたい!」なのに「まずはちゃんと自分の気持ちを書き残してからだ」となります。
アウトプットにはそれなりの労力を使います、ましてやブログという媒体で他人に見られるという前提となればなおさらです。

すると、インプットしたいのにアウトプットしていないからインプットできないというよくわからない状態に時折陥ることがあります。
直近だと、プロセカがそうでした。ニーゴのシナリオを一刻も早く読み進めたいけれども、自分の気持ちはちゃんと書き残しておきたいジレンマが発生していました。

そんな折、ふと以下の記事が目に入りました。
omocoro.jp

その中で、以下の部分がとても印象に残りました(画像で引用させていただきます)。

特にでも感想書こうとすると、映画を観てる最中に頭の中で「ここをこう書こう」って考えちゃいません?という部分。
まさに、こういう部分が、上で書いていたジレンマに近いものなんだろうなと感じていました。


本当はもっと気楽に創作物を楽しめばよいのに、いつしかアウトプットすることばかり一緒に考えてしまっているんですよね。

ブログのことを考えず、ただただ作品を楽しめていたのはいつが最後だろうと思うくらいには、常に何かしらアウトプットすることが横たわっているんですよね。


もう今は、思考の一部みたいなものになっているので苦痛というわけではないのですが、同時に、たまに、それが足かせとなって楽しめていないなと思う時があるんです。
プロセカも、早く読み進めたいのに読み進められないことがこの数ヶ月続いていました。


ただ、ここ最近、体調を崩して会社を休まざるを得なかったのですが、どうしても読みたくなって、プロセカのニーゴのキーストーリーを全部読んでしまいました。
ある意味では、自分に課した「初見感想」というルールを破る所業なわけなのですが……でもですね、本当に楽しくてですね。

プロセカって本当にストーリーがー素晴らしいし、ニーゴって本当におもしろいなってとにかく、とにかく強く強く心の奥底から感じて、ストレスが一気に開放されたような気持ちになりました。


これを持ってしてアウトプットのためにインプットすることが悪とは全く思いませんし、これからも初見の気持ちは大事にしていくことに異論も反論もないのですが、でもですね、時折、リミッターを外してとにかくインプットに勤しむとですね、何か清々しい気持ちになることも事実なんですよね。

そして、その後に、猛烈にアウトプットしないと! と意思が出てくるのもセットです。


あんまり結論はないのですが、今後もプロセカは適度に読み進めながら感想記事も書いていきます。
目下は、ニーゴの感想記事を上げまくります。

明日から仕事始め―2024年に向けての思い

第74回NHK紅白歌合戦のプレイリストを聞きながら、この記事の筆を執り始めました。

いつもブログを見ていただいている皆様、また普段は見ていないけれども存在は覚えてくださっている皆様、そしてはじめましての皆様、昨年はありがとうございました。
気づけば2023年は終わり、2024年が始まってしまいました。

ここ数年は、年始に抱負を掲げるようにしています。そのお陰で、一年を振り返るときの指標とできています。
昨年2023年に掲げた抱負は以下3つでした。

  • 自信を持つ
  • 読書習慣を定着させる
  • 少しでも創作をする

2022年振り返りと2023年の抱負 - 隠れてていいよ


1つずつ振り返ってみたいと思います。
ちなみに本記事のタイトルは、はてなブログの新機能?であるAIタイトルアシストを使って作ってみたものです。

2023年に掲げた抱負の振り返り

自信を持つ

一定以上、自信を持つことができた2023年だったと思います。

仕事においては、昨年8月に転職をしてから本格的にいろんなプロジェクトにアサインされてガッツリと働いた1年でした。ガッツリと言いつつ、前職と比較すれば残業時間は圧倒的に短いので気持ち的には楽な状態です。
メリハリを付けて働いていたので、稼働を上げる月もありましたが、トータルで見れば健康的に働けたと思います。

中途入社は即戦力を求められるし、会社の規模的にもゆったりマネジメントしてくれる余裕もないので、とにかく自走し続けなければならない1年でしたが、なんとかやりきれたのは自信を持って仕事を進められたからにほかなりません、と自分を褒めておこうと思います。


プライベートにおいては筋トレをかなり頑張りましたので、体が成長するにつれて自分自身に対して自信が持てるようになりました。
昔から自分の体にはコンプレックスがあったのですが、筋トレはそのコンプレックスを少しずつ解きほぐしてくれました。
また、コツコツ継続することが自分は得意であることを、今年1年は改めて感じることができました。
筋トレを1年以上、週3ペースで通い続けられたのは大きな自信となりました。

もちろん、仕事にしろプライベートにしろ失敗はしまくっていて、その度に「なぜ生きているんだろう」と暗い気持ちになることは相変わらずなのですが、昔よりは「とは言いつつも、起きてしまったことは仕方がないので前向きにいきましょう」という気持ちに、少しずつではありますが進めるようになってきたような気もします。まだまだ足りないのですが。

読書習慣を定着させる

これについては、YesかNoかで言えばYesになるかなと思いました。
ちゃんと読書記録をつけていないので正確なところはわかりませんが、2年前よりは昨年の方が読書数は多かったように思います。図書館もかなり活用しました。
また、興味が出た分野に対して集中的に読書しまくる、という古典的な手法もかなり用いました(古典的であれども、やはり効果が大きいと思いました)。

ライトノベルについては、年末にかけて『Re:ゼロから始める異世界生活』を17巻から35巻まで一気読みしました。長編シリーズを読む気になるかどうか、自分の気持ちに懐疑的でしたが読み始めると止まりませんでした。リゼロが素晴らしい作品だったことが大きいです。

読書習慣が身についた理由を考えるとすると、通勤時間を読書にあてられたことかなと思いました。
前職はリモートワークが基本でしたが、転職後は通勤が基本であり、短い通勤時間であるもののその時間を利用できました。
なにもないところから習慣づけるのは難しいので、組み合わせてやることで達成できたのかなと。

少しでも創作をする

達成できたかと思います。ブログも創作に含めております。
自分の想いを形にする行為は創作だと思っています。

いろんなものに刺激を受けた1年でしたが、特にブルーアーカイブには感銘を受けた1年でした。正直、ブルーアーカイブのおかげで、自分の中の創作物に対する感謝がまた一段階上がった気がします。

昨年の1つを色々と選ぶとすると


音楽『Aiobahn feat. KOTOKO - INTERNET YAMERO』
thun2.hatenablog.jp


漫画『龍と苺』
thun2.hatenablog.jp


スマホゲーム『ブルーアーカイブ
thun2.hatenablog.jp


小説『九年目の魔法』
thun2.hatenablog.jp


ゲーム『ホグワーツ・レガシー』
thun2.hatenablog.jp


映画『君たちはどう生きるか
thun2.hatenablog.jp


ライトノベルようこそ実力至上主義の教室へ
thun2.hatenablog.jp


アニメ なし
アニメについては、2023年は新作を1本も見なかったようです。
劇場映画としては記載したように『君たちはどう生きるか』を見ましたが、テレビ放送されているアニメは見ていない。
分かっていたことではあるものの、改めて振り返ってみると変な感じがしました。

2024年の抱負

  • 鈍感力を身につける
  • 怪我をしない
  • 判断を先延ばしにしない
鈍感力を身につける

何事も真剣に受けとめて考えすぎてしまう性格を直さないと、一生胃痛からは逃れられないと思いました。
転職してから上司に直接言われることが多かったので、特に意識した1年でした。

鈍感力というといろんな捉え方があると思いますが、考えすぎない、が自分の理解です。
杞憂というか、とにかく色んな可能性を探って、全てに備えようとしてしまい心労が絶えない。
これを避けるだけで、毎週月曜日は憂鬱にならなくて済む……ようにしたい。

怪我をしない

避けられない偶発的な怪我は仕方がないのですが、ある程度予防ができるものであったり、気を抜かずにいれば防げたような怪我は避けていきたいです。
実は年末にかけてそれなりに大きめの怪我をしてしまって、いろんなことに支障が出ていました。
特に、筋トレについては休まざるを得なかったので、体の調子がすこぶる悪くなり、大変困っていました。

怪我をしないだけでなく、自分の体をきっちりメンテナンスすることも怠らず、健康な年にしたいものです。

判断を先延ばしにしない

状況が悪くなればなるほどに、結論を先延ばしにしたくなる癖があります。
なぜもっと早くしておかなかったのか、という後悔につながることが多いです。

傷つくことを恐れているのだと思います。失敗した、やってしまった、うまくいかない……そういったことは認めるのが辛い。
そこをぐっとこらえて、すぐに判断をしていって、致命傷を無くしていかないと、やはり胃痛からは逃れられないと思いました。

結局、心の弱さが胃の痛さ、という悲しい現実が待っているのです。
克服はできずとも、まともになりたい。

終わりに

今年は、明日から仕事始めです。
ブログを書きながら胃が痛くなりそうな感じなのですが、抱負にも書いた通り、考えたところで解決できないことに心を痛めても仕方がないので、美味しいものを食べてお酒を飲んで明日に備えたいと思います。

みなさまにとっても、良い一年になることを祈っています。
私も死なない程度に頑張ります。

働きすぎても視野が狭くならないようにする努力

をしようとしている時点でもう負けなのか?

p-shirokuma.hatenadiary.com

でも、働くという営みがある一線を超えると、目の前の仕事以外は何もできなくなってしまうことがあり、そうしなければならない局面は人生や社会にはそう珍しくないのかもしれない。いや、珍しいわけがない。そのようになっていく中年はいくらでもいる。すり減りながら働いていく中年。きっと、何かの必然性があってやっているのだ。それが強いられたものか、選んだものか、選んだ結果として強いられる結果になったものかは定かではないが。

働きすぎるとブログもSNSもできなくなって視野も狭くなるな - シロクマの屑籠


確か今日の出社中の電車の中だったと思うけれども、上記ブログを読んでなんとも言えない気持ちになった。
なんとも言えない気持ちになったのだけれども、その時はとりあえずはてブして、またいつか考えようと思った。
退社後、全然関係ない悲しいニュースを見て気分が最悪になって、そういえば朝読んだブログのことを唐突に思い出してしまった。
で、更に憂鬱な気分になったので、ブログでも書かないとやってられないと思って筆を執った。


社会人になってから、お金と時間のバランスを取ることが難しくなった。
一番最初に感じたのは、社会人になってから参加したコミケだった。

「これまでで一番お金に余裕があるけど一番準備に余裕がない」などという社会人コミケあるある、笑えるけど笑えないあの格言である。
この格言のパワーアップ版というか、上位版がある。2018年に、かつてないほど体を壊しかけたときに自分のブログで自分で作ってみた言葉。

これまでの人生で一番体が壊れてるけど、一番お金もらってる、みたいな。

限界 - 隠れてていいよ


良くも悪くも頭が仕事で疲弊すると、新しいことをしようとする活力がどんどん失われていく。
人にもよるかもしれないが、自分にとっては、新しいコンテンツを取り入れるという行為は、非常に体力を消耗する行為であり、迂闊に手を出せない。

回避策の一つは、的を絞ること。
現在の自分にとって、『ブルアカ』がその一つであり、現在平穏を保てている理由の一つでもある。
絞ることで、そこに注力ができるので、体力の消耗を最小限に抑えることができる。かつ、新しいものに触れているという意識を持てる。

そもそも、なぜ体力の消耗があることをわざわざやっているかというと、それは視野が狭くならないようにする努力と言えるかもしれない。認めたくないけれども。
やはり、新しものに触れないと、自分の頭がどんどん腐っていくように思える。
だから、ブログを書き続けてアウトプットして、それらしい自分を保とうとする努力をする。

アニメをちゃんと追いかけなくなってからかなりの年月が経ってしまったが、結果、今ではアニメ体力がすっかり失われてしまった。
アニメ体力とは、新しいアニメを見る体力。常に最新の情報に触れて、頭で理解して、体に染み込ませていく作業。

今のアニメのことが肌感覚で分かり言語化できる状態が望ましいとずっとやってきたが、いつしかそれはできなくなってしまった。能力がないのではなく、時間がなくなった。

いや、これはいいわけである。
年齢を重ねるに連れて、自分の人生における優先度が徐々に様々なものに分散して、アニメに対する情熱が薄れていったということなのだと思う。
アニメが嫌いなわけではないし、今でも大好きだけれども、一時期のような、人生の中で95%位の割合を占めるぐらいの好きパーセンテージからは程遠い。
それは認めなければならない。潔く。

社会人になりたてのころは、熱意が失われていくことに恐怖感と焦りを常に持っていて、そうならないようにとにかく努力をした。
でも、徐々にストレスという魔物に負けていたように思う。

ずっとブログを書いているがゆえに、過去の自分の気持ちを取り出せるのは幸か不幸か。時系列で以下に並べてみる。社会人というキーワードで検索してピックアップした。
長いので、時間があるときのお供にでもしてほしい。

忙しくなればなるほど、アニメを見る時間は限られてきます。アニメは溜まっていきます。しんどいですよね。
もしこれが改善できなければ、社会人になってさらに時間がなくなったとき、アニメから疎遠になってしまうのではないか、と思いました。だから、何とか考え方を変えねばと思いました。

『まどか☆マギカ』6話から9話を一気見して感じたこと - 隠れてていいよ

社会人になる1年前くらいの内容で、まどマギをリアルタイムで追えず、ある程度一気見せざるを得なかったときに書いた内容。
元記事を読むと分かるが、全体的に必死になっている。

来年から社会人のため、ブログ更新云々の前に、アニメを視聴し続けられるかが不安です。
ブログ更新に関して言えば、前述した通り全話の感想を書くスタイルから考察スタイルに切り替えつつあるので、何とか来年以降も更新し続けられると思っています。

私がアニメ感想ブログを続けている15の理由 - 隠れてていいよ

当時、アニメ感想ブロガーに聞いてみた15の質問に答えたもの。質問は「 4月から新作アニメが放送されます。4月から新生活を始める方もいると思いますが、今後のブログはどのように続けていこうと思いますか?」というもの。まさにストレートな質問であった。不安だったそうだ。

私は社会人になってもアニメを見ていますが、アニメを視聴するペースは別として、見ている量自体は、最盛期に近いものがあります。すなわちほぼ全部見てる、という状態です。またブログ更新頻度も、それなりに上がっています。

この現象に対して、当初は深く考えていなかったけど、やっぱり気になったので考えた。そうしたら、それは「怖いから」だという事がわかった。

これまでアニメに当たり前のように接してきたわけです。でも、もし、社会人になったからといって「ちょっと忙しいから見るアニメを絞ろうかなぁ」とか言って、思うだけならまだしも実際に実行してしまったら、きっともう二度とアニメに対して熱を持って接することができないかもしれないという怖さがあるんです。

良かった、まだ変な方向に傾いていなかった - 隠れてていいよ


この記事は、全体的に、負けそうになっている自分に言い聞かせている内容で、今読み返しても結構えぐられるものがある。
これ以外にも、結構核心をついたことを書いている。

怖い。今アニメを見るのを止めてしまったら、なんとなく戻れない気がするのです。今アニメに対して考えることを止めてしまったら、なんとなくアニメから離れちゃう気がするのです。16日に「結構忘れてる、だけど好き」が成り立つ理由という記事を書いたけど、多分この記事の自分の中の本質は、怖いから、だと思う。怖いから、理論武装しないと戦っていけなくなっている。

◯◯を卒業する、とか言葉があるけど、実際卒業なんてしなくていいはずなんです。卒業させているのは、周りの環境だとか世間の目だとか現実問題とか、そういうのがあるからですよ。
でもやっぱり環境が変わって、生活が変われば、そういう「卒業」という言葉がよぎる。いや、完全にやめることはないかもしれないけど、「減る」という方向へ流れる。

良かった、まだ変な方向に傾いていなかった - 隠れてていいよ

そうやって、無意識にセーブを掛けて物事を楽しめなくなっているという現状を再認識して、凄く怖くなったのです。無意識的に打算的になっている自分が怖くなったのです。

良かった、まだ変な方向に傾いていなかった - 隠れてていいよ


「怖くなった」という言葉の使い方からして、やはりもうそちら側へ倒れようとしていたのだと思う。


thun2.hatenablog.jp
たくさんのアニメを録画して、全然視聴ができない状態を逆説的に感情放出したような記事。
アニメを見れていないのは、自分が原因であることなんて分かっているけれども、書かずにはいられなかったのだと思う。

thun2.hatenablog.jp

でも、後からちゃんと反省した記事も書いていたようで、自分ながらに今あらためて、偉いと思った。

人それぞれ何をしたいかによって環境の整え方は違うと思いますが、現状のハード・ソフト、あとインフラもですが、それらを加味してまずは「何ができるのか」を調べてみると、アニメの視聴環境の選択肢はぐっと広がるかもしれません。

もっとアニメを見たい、忙しい社会人におくるアニメ視聴環境のススメ - 隠れてていいよ

環境を整える方向性も考えていた時代。大真面目でした。

本当に愛があれば、どんなに忙しくてもアニメをアホほど見続けることができるのか。「ヤリヨウによっては色々できるでしょ。甘えてんじゃないよ」と思う時もあれば「まぁ、忙しいのなら仕方ないのかもしれないね」と思う時もあれば「今は充電期間中」と思う時もあります。

あるとき、Twitterでフォロワーの人が「忙しくて見れなくなったと言っている人は、言い訳を探してただけでしょう」(意訳)とツイートしていました。それを見て、胸が苦しくなりました。
なぜ苦しくなったのかといえば、自分ではそんなつもりはなかった、つまり「言い訳なんて探していない」と思っていたつもりなのに、その言葉を聞いてしまったら、それについて考えてしまった自分が居たからです。
「それを考えてしまうということは、心の何処かで、深層でそう思っていたということでしょう」などと考え始めてしまうのだから辛い。そんなつもりはない……はずなのに。

社会人になって「忙しくてアニメ見る暇なくなった」って言ってる人は始めから言い訳を探していただけでしょう - 隠れてていいよ

「一度距離をおいたらもう二度と戻ってこれなくなる」と、社会人の1年目に悩んだことを覚えています。本当に怖くて怖くて、怖かったからますますアニメに近づいて泥沼にハマっていました。でも、やってみないと本当にアニメから離れてしまうか分からない、というある種の達観が最近はありました。

社会人になって「忙しくてアニメ見る暇なくなった」って言ってる人は始めから言い訳を探していただけでしょう - 隠れてていいよ

東に「このアニメの楽しみ方がわからない」と言う人がいたら、行って楽しみ方を施し、西に「このアニメは糞」と言う人がいたら、行って「そのアニメは神アニメ」と言い、南に「どのアニメがオススメですか」と言う人がいたら、行って厚かましいぐらいアドバイスして、北に乃絵派だ比呂美派だと争っている人がいれば、詰まらないからやめろという(乃絵が天使に決まってるだろ)。
そんなことがもうできなくなっているのだ。

社会人になって「忙しくてアニメ見る暇なくなった」って言ってる人は始めから言い訳を探していただけでしょう - 隠れてていいよ

特に最後の「東に~」の下りは、冒頭に書いた「常に最新の情報に触れて、頭で理解して、体に染み込ませていく作業」の結果生まれるものだという気がする。

「社会人になったら時間がなくなる」ということはこれまでも感じていたことですが、今回社会人となって本作りを初めて行ってみて、その辛さに何度も挫けそうになりました。ここでいう辛さとは、時間をうまく捻出できないことに対しての辛さです。

脱稿って原稿落とした感じがする、もしくはアイカツ本について - 隠れてていいよ

アニメだけではなく、創作など様々なところで同じ思いを持っていることが分かる。

社会人になって私はある問題と戦い続けています。アニメが殆ど見れなくなったこと、です。それまで当たり前に、沢山のアニメを見てきたのに、しんどくて辛くてアニメが見れなくなって、でも見るために、必死にもがきました。
環境が変わる、歳を重ねる……原因はいろいろあると思いますが、一度でもアニメから距離を置くのが本当に怖かったのです。離れるのは簡単だけど、戻るのはとても力がいるという強迫観念を持っていました。

「アニメ“なんか”見てる場合じゃない」 - 隠れてていいよ

定期的に書かざるを得ないぐらい、精神が追い込まれるときが定期的に来ているんだろうなと思う。

果たして自分は、いつから毎日が「かけがえのないもの」だと思うようになったのか
少なくとも10年前は、思っていませんでした。
アニメや漫画など、自分が好きなものを全力で楽しむために、学業もほどほどに日々バイトに打ち込み、
稼いだバイト代はその月で全て使い果たしては、また稼いで使い果たし、と激動、しかし楽しいソロオタクライフを過ごしていました。

契機は、間違いなく就職でした。
2012年に社会人となり、既に4年経過し、5年目に入っている今、私の生活の殆どの時間は仕事に費やされています。
人は余裕が無くなると、ここまで何もできなくなってしまうものなのかと、何度も自分を問い詰めた4年間でもありました。

10年続けたはてなダイアリーからはてなブログへ移行しました - 隠れてていいよ

ちゃんとアニメを見ようと思ったのがいつぶりだろうか、という言葉を書けてしまうくらいにはアニメをまともに見ていなかったここ数年。
クール通してという意味では、食戟のソーマ1期をもしかしたら見ていたかもしれない。特撮であれば、ニンニンジャー仮面ライダードライブがそれか。

もうそれぐらいにしか記憶が辿れないくらいには「まともに」アニメを見ていなかったわけで。
多いときには、そのクールのアニメをほぼ全部(50本以上とか)を見ていたぐらいにはアニメジャンキーだったのに。

アニメから離れることをあんなにも恐怖していたのに、いざ離れてみると、辛さとか悲しさよりも、日々の忙しさのほうが勝っているというよく分からなさ。
案外人生なんてそんなもんなんだなと達観しつつも、でもアニメへの情熱も捨てきれないという支離滅裂さ。

アニメのリハビリ、まずは『ゆるキャン△』 - 隠れてていいよ

心を病んでしまい休職している最中でも、いやだからこそなのか、改めて振り返ってアニメから離れていることを書いている。
どんなに達観したように見えても、なにか言い訳をしたくなるぐらいにはやはり取り残されたくないという気持ちが見える。

そりゃ人間だから、変化しないことなんてないと私は思っているので、変化したっていいと思う。
個人的には、社会人になったことがアニメとの距離を変える大きなきっかけとなったので、これから社会人になろうとしていたり、いま社会人1年目2年目の人に言いたいことがある。
今アニメが好きなのであれば、その気持さえ忘れずにいてくれたらいいと思う。気持ちさえ残っていれば、いつだってアニメは見れるし、楽しめる。

私は、社会人になって、アニメから少しでも離れることになったら、もう一生戻ってこれないのではないか、という恐怖感を強く持っていました。
だから、絶対に離れてやらないという強い意志を持って社会人生活に臨みました。

しかし、仕事内容にもよるだろうしどのくらい仕事に対して情熱を傾けるかにもよるだろうけれども、やっぱりしんどくなってきた。 しんどくなって、アニメから意識的にも無意識的にも離れざるを得なかったような時期が事実あった。

しかし今、こうやって生きているし、アニメを見れているし、ゾンビランドサガのおかげで毎週生かしてもらっているし(ゾンビはもう死んでますけど)、なんならこの5年間ぐらいで一番ブログを書いている。
冒頭に紹介した記事を読んで、大きく3つの反応があるだろうと思う。1つは興味がない人、1つは「俺もやっぱりそうなってしまったよな」と思う人、そして1つは「それでも突き進んでいくぜ」と思った人。どれがいいとかはないけれども、自分はなんとか突き進んでいきたい。自分が死んでも代わりはいるかも知れないけれど、自分が死んだらもう自分が楽しめなくなってしまいますからね。

一生アニメを見て幸せでいたい - 隠れてていいよ

2018年には、やはりもう心持ちは決まっていたのだと思う。
そして「冒頭に紹介した記事」とは以下の記事のことで、いみじくも本記事を書くきっかけとなったシロクマさんの記事なのである。

p-shirokuma.hatenadiary.com



振り返って今はどうか。「自分はなんとか突き進んでいきたい」と2018年に書いていたが、突き進めているのだろうか。
今でもなんとか食らいつこうとしている、気はする。ブログでいろんな感想記事をいまだに書いていることは、一つの抗いだとは思っている。

働きすぎても視野が狭くならないようにする努力をしようとしている時点でもう負けなのか?
そうは思わないと言い聞かせ続けている。そんなもんかとも思うけれども、そうじゃないと思いつつ生きている。
それはやはり「自分はなんとか突き進んでいきたい」という言葉に集約されるような気もする。なんとか、突き進んでいきたい。

画像は「自分はなんとか突き進んでいきたい、と思っている人」で生成AIに作成してもらったもの

雑記 問題解決は経験が命

毎日解決できないことが多く常に悩んでいるわけなんですが、悩むということは前に進んでいないという考え方もあり難しいところです。
悩むのではなく考えろ、というのは理屈では分かるのですが考えられないから悩んでいるとも言えるわけで。

一方で、いろんなアイディアが浮かんできたり解決までの道筋がすぐに見えたり、そういうこともあるわけです。
この違いが何かと考えると、究極的には自分の過去の経験から導き出せるかどうか、に依っていると思うわけです。

0から1を生み出す、という言葉は何もないところから天才的に閃くことを表しているよりは、それまで失敗し積んできた問題解決の数・経験値に裏付けされた確かなものだという捉え方の方が私は好きです。

翻って何を言いたいかというと、今私が悩んでいることの多くは大体経験がないことなんですよね。
多分過去同じような経験をしたことがある人にとっては、なんのことはない日常のようなものなのかもしれません。

ですが経験がないので全部1から、いや0から考えなければならないわけです。
それが物事を考えて前に進めていく楽しさである、そういうことは頭では分かっているわけなのですが、分からない道は苦難に満ちていて、頭痛もするし胃も痛いわけです。

「芸能人はカードが命!」じゃないですが、切れるカードが大いに越したことはなく、その経験を積むために今悩んでいるんだと考えると少しは気が楽になる……のかもしれません。
健康に気をつけながら前向きに行きたい、ですね。

雑記 不安を創作で消す

日曜日が憂鬱かどうか論争は永遠に解決しないと思うものの、自分の中では解決できるのではと思っている。その難易度が高いだけで。
それを難しいと言うのではないかという論もあるが。

昔、心が不安定な時期は薬を飲んでいても憂鬱だったのでそういう意味で解決ができないパターンもきっとあるのだけれども、その憂鬱な気持ちは誤解を恐れず言えば気持ちの強さ・弱さみたいなところに自分は帰結していたので、自分が気を強く持てば解決する部分が大きい。

この「気を強く持てば」という部分がことさら難しいのが厄介なところで、自分は気持ちの振れ幅が大きいので、情緒不安定である自覚がある。
ストレスが自律神経の乱れに作用し、自律神経の乱れが胃痛や頭痛に作用する。自律神経の乱れってやつは、乱れてしまうと簡単には治らないので、一時的にでも体調が悪くなる。

体を温めるとか、ちゃんとご飯を食べるとか、睡眠を取るとかはどちらかといえば中長期的な解決方法なので即座の解決は難しい。せいぜい、お風呂に浸かるのがぎりぎり即効性があるかどうか。

何が言いたいかというと、常日頃からストレスを上手く発散し、ストレスと上手く付き合っていくということが求められる。

ストレスを溜めないことは無理だということを人生経験で悟ったので、専ら上手く発散するにはというところに重点を置いて考えるようにしている。
習慣的な運動、なるべく偏らない食事、規則的な食事、休日のストレス発散方法の模索……これらは間違いなく社会経験を通して、そして一度体調を崩した経験を通して磨かれていて、生き方は多少上手くなっている気がする。

ただ、気がするのであって、実際突然気持ちが不安になることが多い。
これは性格的なところもある。例えば、人見知りの性格は徹底的に精神を蝕む。全てにおいてコミュニケーションのコストが高く、疲弊する。
世間一般的なコミュニケーションに対するコストの高さを知らないので絶対的評価になるが、少なくとも急に気分が悪くなるぐらいにはコストが高い。

どれだけ社交的になったつもりでも、それはつもりであって、ガワを被っているだけのように感じて、嘘はついていないはずなのにまるで嘘をついているように感じる。


そういった不安が発生した時、つまりまさに今だが、よく創作をする。
創作と言っても、今の自分にはブログがメインなのだが、ブログを書くことが多い。

自分の考えをまとめて、キーボードを叩いて、文字にしてどんどんと並べていくと気持ちが落ち着く。不安を創作で消している。

本当に生き方が下手だなと思う。ストレスを可能な限り溜めずに生きていきたい。
ストレスの充填と発散の割合が悪すぎて、どうやっても徐々にマイナスになっていく感じ。


ただ、救われるのはこうやって文章に起こしていくことで不安は多少紛れるということ。
ブログを書く、文章を残す、考えをまとめる……そういったことを短くない期間続けてきたことでストレスなくできる自分には感謝をしたい。
創作で不安を消すって健全ですか?


何となく急に月のワルツを聞きたくなったので、最後に貼って終わります。気分を上げていきたい。


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2022年振り返りと2023年の抱負

いつもブログをご覧になってくださっている皆様、そして初めましての皆様、改めまして2022年はありがとうございました。
気づけば2023年を迎えていて、相変わらず1年が経つのは早いと感じます。

2022年は自分にとって激動の1年でした。様々の環境変化と新しい出会いは新鮮で楽しく、冗談抜きで若返った気持ちになりました。
そんな2022年を振り返り、そして2023年の抱負を述べたいと思います。
ぜひ新年の戯言にお付き合いください。

2022年の振り返り

昨年掲げた抱負の達成度を振り返ることを2022年の振り返りにしたいと思います。

  • 触れた作品の感想を残すようにする
  • エッセイ的なものでもいいから、何かしら創作活動するようにする
  • 読書する習慣を作る
2022年の抱負 - 隠れてていいよ
触れた作品の感想を残すようにする

達成できたと思います。
昨年書いたブログ記事は28記事で、そのうち何かしら作品の感想記事は21記事でした。
2020年は13記事、2021年は8記事だったことを考えると定量的にも大きな成果だと思います。

ブログのように、ある程度まとまった形で文章を書く行為は体力を使うので、その意味で2022年は体調が良かったのだと思います。
しんどいと、まず書く気にならないし書いたとしても内容が暗いものになって、とても作品に対して顔向けができない内容になってしまうので書けないのです。
昨年の記事はどれも力を込めてしっかりと書けていると思います。これは大きな成果だと自分を褒めてあげたいです。

エッセイ的なものでもいいから、何かしら創作活動するようにする

これは、達成できませんでした。
創作の優先順位は現在自分の中で圧倒的1位ではないのですが、それでも急にモチベーションが上がることがあります。ムラがあるというやつです。

昨年は読書する中で短編を比較的多く読みましたが、その影響で、短いお話も良いなという気持ちも出てきました
(もちろん短編連作のものも多いので、だから短編で良いんだというような傲慢さは持っていません)。
抱負の方で書きますが、そういった方面での目標設定にしようかと考えています。

読書する習慣を作る

達成できたと思います。
今は昔のように読書記録をつけていないので正確な冊数は出せないのですが、出さなくても分かるくらいこれまでよりも読めました。
また、抱負は習慣を作るなので、必ずしも読んだ冊数が多ければよいというわけではありませんが、仕事を変えて出社するようになったので通勤時間を読書に充てられるようになりました。
加えて空いた時間、特に寝る前はスマホを触るのではなく読書するようにしたので、そういう意味でも達成できたかなと思います。

昨年は、村上春樹さんを始めとしてこれまで読んでこなかった名作を読み進められたのと、比較的カロリーが高めの本を読めましたので読書力が少しは向上したような気はします。

2023年の抱負

昨年同様にプライベートに関わりすぎる内容は割愛しますが、それ以外について抱負を書き記したいと思います。

  • 自信を持つ
  • 読書習慣を定着させる
  • 少しでも創作をする
自信を持つ

偶然ではありますが、昨年は仕事でもプライベートでも「もっと自信を持っていい」というようなことを言われました。

仕事については、もっと自信を持って仕事をしてほしいという激励の意味も込めた内容でした。
これまでやってこなかった事業・新しい環境・新しい仕事内容で、分からないことも多く、
自分で考えた答えに対して自身を持てないことが多かったのですが見事に見抜かれたのが昨年でした。
理屈というよりは感情的な問題で、どういった行動で答えを導き出していくのかが求められていると感じました。


プライベートについてもシチュエーションは違えど殆ど同じ内容でした。
自信がないと、結局話す言葉や態度がへりくだるようになって、結果的に聞く相手にも気を使わせてしまうことが往々にしてあります。
傲慢になれとは思いませんが、いい意味で素直になることが重要だとあらためて感じた昨年でした。

なので、今年は自信を持って進んでいけるように考え方や行動を変えようと思います。
定量的な指標が無いのですが、まさに気持ちの問題ではあると思うので、常に自問自答しながら進んでいきたいと思います。

読書習慣を定着させる

そもそも定着したから習慣なのではと思われるかもしれませんが、定着度合いにも差があると個人的には思っています。
一番定着したと感じるのは「それをやらないと気持ち悪くなる」です。現状は「少し気持ちが悪い」程度に収まっています。

ただ、おそらく達成できる予感があります。というのも昨年の読書体験から、あらためて読書の面白さを思い出したり新しく発見したりしたからです。
いくつかあります。

  • やはり小説が好きなこと
  • やはりファンタジーが面白いこと
  • 海外小説が思いの外、肌に合うこと
  • 幻想文学というジャンルを見つけたこと
  • 名作はやはり名作たる所以があること

何より、読書は夢中になれること。先が知りたくて夢中になってページをめくっていく感覚、これがなにものにも変えられない体験なんだなとあらためて感じました。

そして自分の原点というか、ブログをやる意味を思い出したりもしました。
記憶に残しておきたいのはもちろんですが、何より自分が良いと思ったものを周りにも知ってもらいたいという欲求です。
なので本を読んだらブログを書いて、想いを伝えられるようにしたいと思っています。

少しでも創作をする

創作に関しては、自分を追い詰めすぎないことを念頭に今年は頑張っていきたいと思います。
楽しくできることに越したことはないという精神で進めます。

創作を頑張る必要がそもそもあるのか? という原始的な問いに対しては、まだまだYesと答えたいというのが正直な気持ちです。
気持ちも忘れてしまうと、諦めに近づいてしまうためそれは避けたいのです。

短ければ書ける、というわけでは必ずしも無いのですが、まずは少しずつ短めのものでも書いていきたいと思っています。

終わりに

歳を重ねるごとに1年が早く感じるようになる、これはいつの時代も言われることですが、だからこそ新しいことを始めたり衰えを進行させないように抗ったりが重要なのかなと感じた昨年でした。
仕事も変わり、社会人になってから過去一番健康的な生活を送ることができました。とにかく健康が大事、健康じゃないと何も始められないと強く感じた2022年でした。

2023年も引き続き健康でいることを前提に、様々なことに前向きに取り組んでいければと思っています。
皆様、今年もよろしくお願いいたします。


追伸:昨年の9月で、このブログを始めてから16年経っていたようです。何事も続けることの大事さをあらためて感じました

悲劇のヒロイン思考に陥ると辛い

悲劇のヒロイン思考とは、その名の通り悲劇のヒロインのような思考のことです。
悲劇のヒロインには様々な定義があると思いますが、自分に発生している辛いことや悲しいことや立ち向かわないといけないことが、
運命によって発生しているものだと感じられる、というように私は考えています。

運命によって発生しているのであるから、その発生原因について考えすぎても仕方がないとすら思えてきてしまうという作用もあります。
同時に、その問題がまるで世界のすべてだと思うように感じ、いわば一人セカイ系の中に取り込まれてしまうような状態です。

悲劇のヒロイン思考に陥りやすいときというのは、多くの場合何かしらの相手がいる場合があります。
その相手は、自分のことをどう思っているのか皆目見当がつかない。しかし自分の思いだけは募る。
そういった場合「あぁなぜ自分はこんなに悩んでいるのだろう。きっと相手は何も悩んでいないのだろう」という思考になりやすく、
相手が居ないと解決できないのにもやもやだけは募り、勝手に自分自身は悪くない、そうセカイが悪いのだ、という思考になりやすいのです。

こうなったときの解決法はいくつかあります。まず、悩んでいることは些細な事であると冷静に理解することです。
それができたら簡単ではと思いますが、しかしこの悲劇のヒロイン思考に陥るときはとても極論の状態に陥っている事が多いので、
実は案外簡単に覆せることが多いのです。

例えば、それについて徹底的に考えないようにルール作りを行い、それ以外のところの優先順位を上げていき、
それの優先順位を最下位に持っていくことで無理矢理に距離を置くという方法。
特に「それ以外」の部分が、それなりに成長や実感を持てるようなものである場合、容易に抜け出しやすいです。

悲劇のヒロインになりきることはとても快感なのですが、抜け出せないと永遠に悩み続けるという苦痛が待っているので、
ぜひ早急に抜け出してください。

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